人間蒸発

 今日紹介するのは今村昌平が1967年にATGで撮った「人間蒸発」。突然、失踪した婚約者を追う女のドキュメンタリーというのがストーリーなんですが、普通のドキュメンタリーだと思うとこれびっくりする。すっごい作品なのだ。

 今村昌平という人は二回もカンヌ撮ってる巨匠中の巨匠なんだが、この人の才能はそれだけではとどまらない。新藤兼人と同じで監督であり、ライターであり、そしてプロデューサーでもあるのだ。自分でお金を集めて自分で好きな映画を作る。これほど痛快なことはないだろう。三池崇史の「監督中毒」にその徹底した節約ぶりが記されている。ロケ中は皆、雑魚寝でメシはパン一つという状況で長距離電話するぐらいなら葉書で出せと言う。その代わり、自らも制作費から酒を買ったりすることはなかった。それで苦労したカットでも、自分が駄目だなと思えばあっさりと棄ててしまう。プロデューサーでもあるのだが、やはり自分の本業は監督だということがよくわかってる。スタッフやキャストは大変だろうが(いろんな伝説が残っている)映画の出来を見せて納得させてしまうのだ。

 「昭和・平成家庭史年表」の67年の項をあけてみると流行語の中に見つかる言葉「蒸発」。大した動機もなく、突然消えてしまう人がこの頃から増えていたのです。今でも決して無くなった問題じゃなく、年間5千人ほどの人が戸籍から抹消させれています。出稼ぎに出ていた旦那から連絡がなくなった、息子がぷいと出たきり戻らないという例から普通に会社に行って戻らない旦那や家に帰ったら妻がいなかったなど例は様々。これは日本だけの特殊事情ではなく、大都市なら共通する社会現象で大きな話題を集めていました。

 オオシマタダシ32歳は営業マン。福島方面に出張のあと、会社の下宿に荷物をおいて会社に出ることなく、蒸発してしまった。動機、原因は全く不明。彼の婚約者であった女性、映画では”ネズミ”は露口茂(ヤマさんね)と共に聞き込みを開始する。田舎の父母、会社の社長、仲人と聞き込むが決定的な動機は全く出てこない。ただ、オオシマは会社の金を使い込むという悪い癖があって幾度も給料より返済を繰り返していた。会社の従業員にも話を聞くがそこから浮かび上がってくるのは10年近く勤めているのに重要な仕事を任されない、大酒飲みでだらしない、女性問題というオオシマ像だった。営業としてのスキルもなかったらしく、福島の旅館の番頭には「短い付き合いでしたが、営業には全く向いていないように思えました」とまで言われている。

 さらに付き合ってた女”キミチャン”には婚約寸前まで二股かけられてフラれている。何とキミチャンはオオシマの子供を身ごもっていたというのだ。が、キミチャンは二股かけていた相手がオオシマよりいい会社に勤めているという理由で(もちろん、それだけじゃないだろうが。。)オオシマをふっている。そこに現れたのが会社の見合いで出会ったネズミだったわけだ。前半のクライマックスはネズミがキミチャンを難詰するところである。これを何と隠しカメラで撮影している。キミチャンには目線が入っているがそういう問題じゃねえだろう。キミチャンが取った男も目線入りだがスクリーンに映ってるし、会社名まで公開されている。

 後半、一向に進まない展開に今村監督はスタッフを集めて相談する。オオシマを見つけることに重点置き過ぎちゃったなあ。なんかもっとネズミに焦点を当てたいね。。あれあれ?この映画はオオシマを探すことが目的じゃないの?今村監督にとっての題材はあくまでもネズミだった。オオシマが婚約者の姉さんが二号さんであることを気にしていたという情報をつかんだスタッフはネズミの姉さんに焦点を当てる。ネズミは当時、姉と同居していたのだが姉が二号さんであることを知らなかった。(旦那ももちろんスクリーンに登場)どうしてオオシマは姉さんのことを知っていたのか。姉さんは芸者の置き屋に幼女に出されて、芸者になっていた過去がある。そしてネズミはそうした姉を激しく憎んでいた。

 ネズミはもうただの不幸な女性ではなかった。「カメラを意識してものをしゃべってる」「女優だね」監督は言う。「ネズミは露口に恋してるんじゃないか?」オオシマを探す意欲が薄くなっていくネズミ。スタッフはネズミと姉さんの物語にしていこうと考えていく。そして2年前にオオシマと姉さんが一緒に歩いているところを見たと断言する証言者が現れた。詰め寄るネズミにあくまでも知らないと言い張るネズミ。私思うにこの証言者はスタッフが用意した人間だと思う。商売柄、一度覚えた人の顔は忘れないとは言っているがそこまで自信を持って言い切れるか?が効果は抜群だったのだ。

 一般的にドキュメンタリーってえのは、世の中のことを混ぜ事なしに中立の観点から淡々と写しとることだと思う。が、完全な中立なんてのは世の中に存在しません。そこにはやはり監督の意志があり、どうした場面を切り取るかで印象は全く違うものになってしまうからです。今村昌平が描きたかったのはそうしたドキュメンタリーの正義みたいなもののうさんくささでしょう。おそらく撮って行く中でそうした方向にシフトしていった。今村昌平のよきライバルである新藤兼人は今村の映画づくりについて「人間は全部、喜劇だと見ている」と述べています。今村にとってはドキュメンタリーは真実ではなく、喜劇です。つまり、この「人間蒸発」はネズミという女優が「蒸発した男を追いかける女」という役を演じた一つの喜劇なのです。

 この作品はドキュメンタリーとしては異色だし、大嫌いな人もいるでしょう。プライバシーにうるさい今なら絶対に撮れないだろうね。当然、幻の作品に。。と思ったらDVDが発売されてる(ホンマか)のでぜひ見てくださいな。なお、村松友視の「今平犯科帳」は面白いのでこれも読みましょう

今平犯科帳―今村昌平とは何者

今平犯科帳―今村昌平とは何者

監督、企画:今村昌平 協力:浦山桐郎 撮影:石黒健治 音楽:黛敏郎
キャスト:露口茂、早川佳江(ネズミ)

人間蒸発 [DVD]

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