映画休暇消化中(1)〜湯布院映画祭2007メモ〜

(注)このメモは平成19年8月22日から28日まで湯布院にて開催された湯布院映画祭の極私的メモである。

書き出しには苦労し、変な書き出しから始まったことをご容赦いただきたい。

ではお読みください。多分、年内いっぱいかかる長期連載になる予定。。多分終わらん


今年で私も29歳


来年には三十路なる暗黒大陸に踏み込まなくてはならない

変な話であるが、

子供の頃、夭折なる言葉に憧れた

「○○は若くして名を挙げたが、惜しくも夭折した。享年27歳」若き才能が開花し始めた時に突如、急死する。人の価値と煙草の味は煙になって初めてわかる。惜しまれて散るなんて最高じゃないか。。

よし、俺も夭折しようとひそかに誓った中学生は十数年の歳月を経て、まだしぶとく生きている

年を取りすぎた

もはや夭折でもないし、才能の開花は無論なく、北国の桜のようにつぼみは固く固くほころぶ気配もなし。そもそも咲く花があるのか、そして咲かせる努力をしてきたのか、自分の胸に聞いてみても返事は返ってこない。

かくなる上は来年、潔く三十路を受け入れて残りの人生を生きていこう。。しかし最後の夏に何かがないのは寂しい

そしてここで湯布院映画祭の名前が出てくるのである。

この日本映画を中心にした、小さな映画祭は湯布院という山間の町でひっそりと行われている。歴史は古く、1976年に始まった映画祭も今年で32回。私がここ近年恐れていた三十路をこの映画祭は既に超えている。夭折、短命などの「滅びの美学」を物ともせずに裏日本に咲き誇る月見草のようにひっそりと咲いた野花。

その姿こそ、私が最も見習わねばならない、そして私向けの映画祭に思えたのだ。

私が湯布院映画祭に行くと周りの人に語った時、その映画祭の存在を知る人はいなかった。何故、湯布院で映画祭なのか。映画館一つない町であるし、有名な映画のロケ地になったわけでもなく、尾道のように高名な映画監督が出た土地柄ではない。夕張のように観光の目玉として作られたのか。それも違う。

しかしそこに起こった、映画好きの若者が高名な旅館の後押しで始めた、映画祭が32年も続き、しかも行政の手助けもなく、未だにボランティアで運営されている。もし映画祭で赤字が出た時には実行委員で頭割りで自腹らしいので、驚く。これも好きだからできるのである。そしてそこにちょっぴりの責任感、というか粋に生きたい心意気純粋な映画ファンとしての矜持なんだと思う。

湯布院映画祭を知ったのは、ネットでお知り合いになったおたべさんがここの常連だったからである。おたべさんとお会いしたのは私がまだ学生の、20歳の頃だから随分、古い、お知り合いである。もう9年来の知り合いとなった。私が今から数年前に東京でしくじって、京都に帰ってきた時に掲示板にこっそり書き込みしたら、随分慰めてもらったことを覚えている。いつかは行ってみたい湯布院映画祭。。いつからかそう思い出し、お友達を紹介してもらい、参加したのは2003年。全日参加には少しの勇気が必要で3日参加して引き上げた。それから4年後。2回目の参加である。人一倍、気が小さい私に映画祭を教えてくれ、背中を押してくれたおたべさんには何回、感謝しても足りません。

8月23日の木曜日。いつものようにビカビカに晴れた夏の一日。私が乗り込んだのぞみは一路、博多を目指す。前回は3日参加だが、今回は全日参加。4泊5日という、長旅がいよいよ始まった。

日頃は一人旅をモットーとする私だが、今年は道連れがいる。やじきた道中よろしく、男と二人旅である。映画に興味がない友人を連れて行っても仕方がない。彼も相当な映画好きである。映画好きの友人ができた、と言うよりは友人が映画好きになった、というのが正しい。

湯布院映画祭が始まった年に生を受けた彼は私が今の会社に入って以来の友人である。彼と私、それから二人の変人と結成した「ゆめみし会」。一ヶ月に一回、好きな企画を出し合い、遊ぶこのグループも今年で5年目を迎える。「暗闇の中で映画を見るのは悪くないと思った」と映画ファンにすんなり仲間入りした彼との二人旅。お互い、友人との二人旅は初めてである。心中、喧嘩だけは厭だなと思いながらの道行きである。これが岡惚れしてるあの娘とならなあ、、と少し思う。

彼の名前はそうだな。。実名は使うわけには行かないのでスブやんとこの日記で呼ぼう。

10時過ぎに博多に到着。ここから湯布院まではゆふの森号に揺られて2時間半である。電車に乗る前にホームで岡山の良介さんにお会いする。おたべさんのお友達で湯布院映画祭の常連さんだ。そう言えば!2003年の映画祭の時もこの博多駅で良介さんとお会いしたのだった。お互い、荷物は宿に宅配便で送ってラフな地元民みたいな格好である。この手法も良介さん伝授である。ああ、湯布院映画祭に来たんだなあ、、と思う。

最後尾の車両に乗り込むが、観客は我々と家族連れ一組のみ。当初は平日だから、こんなもんやろと思っていたが1,2,3両は割りと混んでいる。。もしかしたら、久留米あたりで突然切り離し運転されてしまうのでは。。と密かに恐れるがそんなわけもなく。(当たり前だ)客室乗務員のお姉さん(割と化粧濃い)もここの車両に入るともうお仕事終わり、みたいな感じで雑談に興じる有様。木製のしっとりとした雰囲気で積木の電車がもしあるのなら、こんな感じなんだろう。一人、音楽を聴きながらのんびりと過ごす。やがて汽車は由布院に到着した。時間は12時半。

映画休暇」と題した、私の夏休み、20代最後の夏休みがいよいよ始まった。

蛇の道はやはり蛇〜極私的湯布院映画祭2003メモ〜

日本映画ファンにとって湯布院映画祭というのは言わば北極点である。それがどういう意味か、日程表とラインナップを見れば一目瞭然である。朝の10時から始まるその映画祭はシンポジウム、パーティーを含めると終わるのは何と午後11時。このうち休憩と言えるのは1時間だけである。昼飯を食う時間もなく、映画を見続け、のどを潤す暇もなく、映画の話をシンポで、わずかな休憩時間に唾を飛ばす。そんな日が4日間が続くのだ。しかも流される映画は半数近くが今から20、30年前に公開された映画である。それを湯布院という観光地で観光もせずにやっとるのである。うちの弟はいみじくも言った。「何故に高い交通費を出してビデオになっている映画を見に行くのか。」それもまた真実である。

映画祭を終えて勤務に戻った私だが、「湯布院映画祭、楽しかった?」と聞かれると「はあ。。」としか答えられない。ただ、今はっきりと言えるのはすごい経験であった、ということ。私の平々凡々たる人生に間違いなく、風穴を開けた。ピストルで打ち抜かれたように心にぽっかり穴が空いている。まつりのあと、である。全国より鍛え抜かれた日本映画ファンが集まるお祭。まつりのあと、は何かホッとしたようなさびしいような。。。やはり私はまつりが好きだ。

湯布院映画祭に行くきっかけになったのは知り合いにこの映画祭を大変よく知った人がいたからであり、5月、その人に連れられて湯布院映画祭の常連が集まった、ちょっとした会に参加させてもらったことである。通常の映画祭と違い、シンポジウムやパーティーを含むこの映画祭は1人ではややしんどい。顔なじみを作っておけば、パーティーの時にさびしくないだろうし、やはり1人より大勢でわいわいやってる方が楽しい。実際、パーティーの時に様々な人と喋れたし、パーティー終了後も映画ファンと熱い議論をする機会を持てた。実はこれが一番面白かった。「案ずるより産むが易し」と言うがいろんな人と言葉を交わすことができた。しかしそれでも単独参加はきつかったろうなあ、と思う。

さてこの湯布院映画祭の目玉と言われるパーティーのことだが、実はこれが一番不安だった。自分は酒がほとんど飲めず、こうした酒席の語らいというのが本当に下手くそである。実際、1日目はほとんど話ができず、1人でフラフラとさまよっていた。が2日目に多くの常連さんと言葉を交わし、深作健太氏と喋ることができた。イエイ。健太氏に親父さんのファンであることを伝え、「深作まつり」というサイトをやってることを伝え、健太氏が以前「父は映画を祭りとしてとらえていた」と言っていたことに同調した、とか喋っておった。今から考えると赤面ものでアホ丸出しだが舌打ちもせず、聞いてくれた健太氏というのはよほど、いい人だと思う。次の日も含め、かなりお酒を飲んでおり、酒というのは楽しい雰囲気だと呑めるのだなと思った。食事もなかなか豪勢でこれだけでも4000円は元をとってますな。

 褒めてばっかりではおすぎみたいで気持ち悪いので若干、厭だなと思ったことも書いておく。公式掲示板でも書いてあったが「敷居は高い」というのは私も感じた。さっきも書いたが「いちげんさん」にはしんどい映画祭だと思う。決して気軽に行ける雰囲気じゃないし、万人が楽しめる映画祭じゃないだろう。それから若い人も確かに多いんだが、実行委員の御友達がかなり多いように思えたのは私だけだろうか。これまでも様々な紆余曲折を経て、これからも変わっていくんだろうが、儲かってるんだろうか。善意で持って支えられるイベントというのは基盤がモロい。28年も続いたのはすごいことだが、この手のイベントは多少のヤマっ気を持った人が仕切らないと長くは続かない。たとえ、ミーちゃん、ハーちゃんであってもその中から来年も来てみようか、と思う人は出てくる。そうした人がいずれ常連になっていく。映画ファンの”たまご”を作る。それもまた映画祭だと思う。松田龍平を呼んだり、いろんなことはしてるようだが日本映画ばかりを扱う、稀な映画祭の割にはどこか「敷居の高さ」を感じる。

 まとめに入るが非常によい経験をさせてもらった、と思う。なんと言うか。。色々と勉強になった。今年で映画ファン5年目に入り、年間鑑賞本数も100本を超えた。まだまだこれからだと思うが、当映画祭のおかげで明確な目標の一つができた。映画にはまだまだ広がりがあり、その道は無限。この道はなかなか長く遊べそうである。これからもよろしく。

万国の映画ファンよ、湯布院映画祭にて会おふ

tetorapot2007-08-22


楽しみにしていた湯布院映画祭もいよいよ今日から始まってしまいました。三十路前のてとら兄さんの乗り込みは明日の昼。早朝からのぞみで博多まで出向いてゆふいんの森で可愛く、乗り込みでございます。実は今回2回目で2003年に参加したきりである。映画好きの友人が、というか友人が映画ファンになったので一緒に行くことにした。

当時は常連客のレベルの高さに恐れおののき、自分の知識のなさを露呈するばかりであったが、あれから4年。私の映画知識も深まり、荒井晴彦と論戦一発構える自信ぐらいは。。あ、それはさすがにない。ってか、どんな知識持ってても怖い。勝ち負けの問題じゃないし、すごい人にはおとなしく、感心しておればいいノダ。

今年のテーマは私が最も好きな大映の特集。これが行こうと決めた理由ですな。東宝、松竹、東映、日活、新東宝と数多くの映画会社あれど、はっきり言い切ろう。大映の50〜60年代は日本映画史、いや世界の映画史的にも最も豊饒な作品を生み出した映画会社と言ってもよいだろう。全てが当たり、というとてつもないことを言うつもりはないが、「座頭市」にしても「忍びの者」にしても「黒」にしてもシリーズのどれをとっても傑作なんてのは大映の作品群ぐらいである。映像は後世に遺せる。そしてその映画にまつわる、様々なエピソード、撮影所で働く人々の情熱や息遣い、そうしたものもこうした映画祭を通じて後世に伝わっていく。。映画史なるものは本来、そうしたものである。大映が無くなって40年近くが経過した。当時の人々も一人一人、鬼籍に入っている。もう、そんなにこうした機会はないのだ。そうした時間の経過をひしひしと感じる。しかし、西岡善信さんは本当にいつまでもお元気だなあ。木村威夫もそうだが、美術の人は長生きが多いような気がするのだが、気のせいやろか。ラインナップでは田中徳三の「疵千両」がひそかにめちゃくちゃ楽しみ。京都映画祭で見逃してから見たいと思ってたん。

特別招待作品も楽しみ。テーマだけでも充分刺激的な、青山真治の「こおろぎ」、十三が舞台になった「かぞくのひけつ」、石井隆の「人が人を愛することのどうしようもなさ」、そして話題騒然の3時間10分の超大作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」、平山秀幸の「やじきた道中てれすこ」と盛りだくさん。特に連合赤軍はシンポジウムが荒れることは必死。ここの常連、遠慮一尺なく叩きまくるしね。若松孝二も思い入れたっぷりに語るやろし。3時間耐えれるかな。。少し不安だ。

ってなことで明日から行ってきます。9月には「花よ散れ、、湯布院映画祭2007メモ」(仮)を更新予定

おまけとして2003年当時の感想を載せておきます。

陸に上った軍艦

陸に上った


★陸に上った軍艦 8/12 シネ・ヌーヴォ
★★★
→私の祖父は32歳の年に召集された。京都の下町で八百屋をやっていた祖父には二人の子供がいた。中国に送られたそうだが、当時の日本はまだまだ連戦連勝。勝っているうちに祖父は一度帰国している。しばらくして、戦場に戻ると戦況は一変。祖父がいた部隊は全滅していたのだ。戦争末期は専ら後方支援で中国大陸で敗戦を迎えた。半年の抑留後に帰国。以降は八百屋として懸命に働き、5人の子供を育てた。

私が子供だった頃、祖父は既に一線を退いていたが、まだ元気であった。いろんな話をしてくれた祖父で、昔の話もよくしてくれた。その中には抑留中の話や軍隊では馬の世話をしていたことや戦後すぐの食糧難の話もあったが、戦争の話はほとんどしてくれなかった。昭和25年生まれの父も祖父からは戦争の話はほとんど聞かなかったそうだ。昭和を働きづめに働いた祖父は阪神大震災が起こった年の夏に死んだ。夏の暑い盛りであった。

新藤兼人が己の戦争体験を語ったドキュメンタリー・ドラマである本作を見た時に思い出したのは祖父のことであった。戦争末期に召集された新藤さんと5年従軍した祖父とは境遇は違うだろうが、働き盛りでの従軍は同じような気持ちであったのではないか、と思う。

おまえらはクズだ、と罵られて、20歳前の若造を上司として、八つ当たりとしか思えない制裁も受けた。そうした兵隊の記録は今まで語られなかった。小林よしのりの漫画にはそんな兵隊は出てこない。国を思い、戦友と肩を組み、敵軍と戦う勇敢な兵士。しかしそんな兵隊の影には、弱兵と罵られた兵士がいた。彼らは戦後、そうした体験を語らなかった。思い出したくなかったからだ。そうした、みじめな弱兵の戦記を残すために新藤さんは語り始めたのだ。

新藤さんの戦争体験については、今年の5月に日経新聞の「私の履歴書」でも書かれていた。32歳の年で海軍に召集された新藤さんは特殊任務、この任務は実は軍隊が接収した建物の掃除であった。戦争とはかけ離れた雑用の日々。

しかし、戦争はなくても軍隊はあった。「これは軍艦だ。陸に上がった軍艦に貴様らはいる!」とビンタを食らわせる、自分より遥かに若い上官。そのビンタの多くは、理不尽であり、遊びで兵隊を殴る軍人がほとんどであった。自分より年上でほとんどが所帯持ち。戦争が終われば立場がひっくり返る身分である。そうした不安さから必要以上に指導が厳しくなる。まあそうした一面もあったのだろう。

社長シリーズに「社長太平記」という作品がある。本作は社長シリーズにおいても傑作の1本であるが、設定が面白い。飯を食うのが早いのだけが取り得の一兵卒が森繁久彌、軍曹が小林桂樹、司令官が加東大介、この地位が戦後になるとひっくり返り、社長が森繁で専務が小林、加東は筆耕や消防訓練が仕事の庶務課長になっている。専務でありながら、過去の関係からか、二人になると社長を「おまえ」呼ばわりする小林の存在も面白いが、ぐうたらでも抑えるところはしっかり抑える森繁の社長ぶりも見事。人の才能ってのはどこにあるのか、わからんのだ。

話が逸れたが、ここまでのひっくり返りはなくても戦争が終わってから、社会にはじめて出ることとなる若者はそれまでアホだ、バカだと罵り続けた生活人にどういう態度で接したのか。戦争が終われば上官も二等兵も関係なし。父が祖父から聞いた話だが、捕虜生活が終わって、帰国の途についた部隊で威張り腐った軍曹が海に放り込まれる事件が起こったらしい。本土が近づき、歓喜の声を上げる兵士達。同時に湧き上がるのがこのバカらしい戦争に対する怒り。その怒りに矛先になったのが、自分に日夜ビンタ食らわせた軍曹であった。海に叩き落された軍曹は二度と本国の地を踏むことはなかった。彼も無念であったろうが、あんまり気の毒には思えない。

この映画を見て思うのは、戦争は個人の生活を壊す、ということだ。職業軍人が国の威信をかけて戦う19世紀の戦争と違い、20世紀の戦争は国と国が全てをかけて戦う、おっとろしい総力戦となった。そこには個人の意志などあろうはずがない。新藤さんが映画界入りを志すきっかけになった「盤獄の一生」。山中貞雄監督作品。映画界のエースだった彼は人気絶頂だった頃に召集され、1939年に戦病死している。マキノ雅弘は後に「あれは見せしめやった。映画界で一番やった山中を殺しよったんや」と語っている。山中貞雄を映画で描こうとした黒木和雄は悲願を果たせずに昨年に鬼籍の人となった。彼もまた戦争を描くことにこだわり続けた映画人であった。

休みの日に狂ったように妻とのセックスに励む兵士が罰の悪い顔して小便しに来るシーンや靴を上下逆さまに履いて作戦と称する将校、鉄兜を金物屋横流しした疑いをかけられた兵士などリアルなエピソードも見事なれど、自分の体験を淡々と語る新藤さんの姿に圧倒的な存在感と説得力。新藤さんへのインタビューに加えて再現ドラマで構成されているが、再現ドラマにややメリハリ弱し。

やましろ映画館事情2007

tetorapot2007-08-11


京都にある映画館たちをヒネた映画ファンが好き放題に書くという、他人を読んでも面白いかどうか謎ですが、書いてる方は確実に楽しい、というまあそういう企画でございます。

映画館ってね、要は映画を見るハコってなだけなんで、あんまり過度な思い入れを持つのは好きじゃないんですけどね。長く通っていると愛着も出てくるし、またの逆の感情も出てくるわけで。。街の映画館がどんどん無くなっていくのを嘆く人がよくいますが、大体、そんなん言う奴に限って、映画見てませんしね。つぶれると決まった途端に文化の喪失だとか何とか、寂しいとか、街の風景が変わるとか言いやがってね。じゃあ、あんたはどれだけ行ってんのか、と。前は何回か通ってていつか行きたいな、とか思ってただけの人でもそんなこと言う人いますからねー。映画館は観葉植物じゃねえんだぞ。毛虫いっぱいでも、見栄えがいいから、公園の松を切るな、とか言うてる爺さんと一緒。大体、こんなこと言うバカにろくな奴はおらんのです。バカばっかりだ!

文句言うんなら自分で何ができるか、を考えてみろってんだ。てめえが友達の3人も連れて、毎月来てればつぶれんのですよ。そうした魅力がない映画館ならつぶれても仕方ないし、時代の流れってのも確実にありますわな。大体、映画を文化とか言い出したら、もうおしまい。映画は文化じゃなくて娯楽。その感覚で行かないと何を持ってよい映画か、がわかんなくなる。上方落語ファンは落語専門の寄席がなかった時代から落語を支え続けた。その年月があったから、見事に円熟期を迎えたのだ。映画ファンはその点、まだまだ幸せなもんです。

はっきり言えば、みなみ会館もいつまであるのか、わからねえ。客の入りも相変わらずよくねえし。でも観客ができることなんて、見たい映画があったらそこで見るようにする、それから友達誘うとか、パンフ買うとかないわけで。そうした状況でも、よりよい映画を一本でも多く、観客にと方針を変えないで頑張っているスタッフに素直に敬意を表したい

何にしても映画はやっぱり映画館で。DVDで見るな、とは言いませんが少なくとも映画監督は映画館で上映されることを頭において、作ってるわけですから、映画館で見るのがやはり最低限な映画ファンの矜持だ、と思うのですが。。私は古うござんすかねえ。。

東宝公楽
既存の巨大映画館を分割(北野劇場はスクリーンが半分に切られた)して無理矢理シネコンにしてしまい、シネコンにできない映画館はつぶしてしまうという、街の映画館消滅頂上作戦を敢行中の東宝にとって、関西ほぼ唯一と言ってもよいと思うが、500人収容の1スクリーンの東宝公楽は珍しい存在であろう。昨年の1月に河原町から東宝の灯が消えたが、映画館は一本のろうそくたれ、と言わんばかりに唯一残った東宝系映画館。ここもいつ、つぶれるかわからんが、つぶれても私の映画ライフへの影響はなさそう。昨年は一本も鑑賞なし。今年も多分なし。



MOVIX京都
→当時、郊外に作ることが常識であった時代に街中に突如出現したシネコン。常識を見事にぶち破り、街中にシネコンを定着させ、12のスクリーンを擁する京都ナンバー1シネコンの地位を不動のものとしている。一時期よりは落ち着いたと思うが、休日、水曜日の混乱はすさまじく、チケット売り場に行列ができることもしばしば。(紀伊国屋書店の2階にある南館チケットカウンターは空いてるんで混雑時はこっち使いましょう)ラインナップは拡大公開系洋画からアニメ、日本映画、ミニシアター系作品と幅広い。6本見れば1本は無料というシネコンのサービスはやはり嬉しい。

「MOVIX京都がジャンルにとらわれず独自にセレクトした」スペシャルアートセレクションも対称作品を5本見れば、1本ご招待。(ただし、対象作品のみだけどな)このセレクション、大体はミニシアター系作品、京都シネマとかぶりになった作品が多いのだが、「ロッキー・ザ・ファイナル」が入っており、本当に「独自にセレクト」しとるな、と感動した

昨年は上映前に意味不明なウサギのCGアニメ(コント?)が流れていたが、最近見なくなった。その代わりに中野眼科という京都で有名な目医者のスポットCMが入ったが、これも見事にわけわからん。不条理というか意味不明というか。。オチになってないというか。。レナコって。。とにかく腰砕けなCMなのだ。興味ある方はサイトでも見れるようなのでぜひご覧ください。女の子は可愛いです。

シネマ歌舞伎ゲキシネにも熱心で今年も10月から劇団☆新感線の「朧の森に棲む鬼」の上映も決定している。独自色の一環なのか、昨年は京都映画祭の会場にもなった。昨年は40本鑑賞。今年は7月末現在で6本。すくねえ。



新京極シネラリーベ
→新京極のド真ん中に2スクリーンを擁する老舗映画館。昨年までは弥生座という、昔ながらの看板をかかげた映画館であったが、名前をカタカナに改めてミニシアターへの脱皮を図っている。。はずだが、ラインナップは東宝系の日本映画、アニメと東宝二番館的な路線は未だに継続。たまにミニシアターな作品もやってくれるが、京都シネマみなみ会館に比べると影薄し。

昨年は久しぶりのRCS企画の「新京極カルト&ミステリー〜愛と幻想の映画案内〜」と題して怪奇映画の特集上映。みなみ会館が無くなった後のRCSの次の本拠地はここだと思わんでもないが、ミニシアターに徹する覚悟はなさげ。昨年はその特集で2本のみ鑑賞。館内は相変わらずですが、カウンターはえらく綺麗になってました。今年は鑑賞なし。



京都シネマ
→今や、京都の映画ファンにとっては欠かすことのできないようになった、日のあたる勝ち組ミニシアター。3つのスクリーンを擁し、平日休日問わずに連日賑わっている。客層に女性が多いのは、やはりCOCON烏丸内という立地条件に加えて、清潔でこじんまりとした映画館であるからだろう。混雑を避けたい方は夕方がお薦め。レイトショーは混むが、夕方はやや空いてる。

ただ、前の朝日シネマもそうだったのだが、座席の高低には全く無頓着でほとんど段差なし(天井が低いからある種仕方ない部分はあるが)で前に大きなオッサンが座ると字幕が見えなくなる。特に3はひどく、席によって、前にどんな人が座るか、混雑状況によって、かなりアタリハズレありで最後列の人が上映中に立ち上がれば、スクリーンに影が差すという田舎の上映会状態になってしまう。何とかならないものか。。ならんか。ラインナップはミニシアター系作品を中心に、外国映画6、日本映画4ぐらいのラインナップ。売れ筋なミニシアター作品はMOVIX京都と二館上映になることもしばしば。昨年は12本鑑賞、今年は7月末で既に14本鑑賞。今年はなんかラインナップがよいです。




みなみ会館
→この時代の1スクリーンのミニシアターの経営が如何に大変か、それはRCS会員になって毎月のRCS通信を見ればそこには、生前の原健三郎ばりに危機感あおりまくりの文章がズラズラ並んでおり、正直辟易する旨もあるが、まあよく持ってるなと思う。

昨年の秋に突然、1階のパチンコ屋が閉めてしまった。当初は改装中かなと思ったが工事している様子は無く、未だに再開なしでつぶれたと言っても間違いないだろう。嘘か真かははっきり知らんが、閑古鳥の棲家であるみなみ会館がどうしてつぶれないか、の大きな理由に、下のパチンコ屋と経営者が一緒で映画館は税金対策だとの説が有力であった。。。だったらやばいじゃん!

現に、先日の市川雷蔵の映画祭にてRCS代表の佐藤氏から「京都駅南にシネコンができたら、(多分、番組回してもらえなくなるので、)みなみ会館はつぶれます!」発言が飛び出したりとかで、危機は深まりつつあるんでしょう。京都シネマが出来たとは言え、ミニシアター系でもどマイナーな作品や日本映画の特集上映はここしかやってくれない。貴重な存在には間違いないので、俺は最後まで応援するぞ。来年もまた市川雷蔵映画祭!頼みます!昨年は16本鑑賞。今年は7月末で6本鑑賞。



祇園会館
→封切り(こういう言い方は最近しなくなったな)から半年ぐらいたった洋画、邦画を二本立てで上映する、名画座。全国でもこの手の映画館は珍しくなったが、どこの駅前にも映画館があった時代にはこうした映画館も多数存在した。映画を見始めた時には随分お世話になっており、「恋愛小説家」と「ベストフレンズウェディング」、「マトリックス」と「ファイトクラブ」とか、奇跡のようなラインナップもずらりで重宝した。しかし、今のようにすぐに映画がDVD化されてしまい、DVDで自宅鑑賞がスタンダードになりつつある現在では、名画座も一つの役割を終えた感はある。ここは、秋には祇園をどりの会場となるので、それで残っているという話もあるが、まあ当分はありそうな気もする。客の入りは作品によってまちまちであるが、ほとんどが招待券。ここで見たければ、まずは金券屋に行かれることをお薦めする。まあ、ほとんどの金券屋で置いてます。昨年は京都映画祭で4本鑑賞。なんで海外が舞台なのか、さっぱりわからん洛東自動車教習所のCMも健在。教習所で風になれ、て。




TOHOシネマズ二条
→TOHOシネマズ高槻がなくなったので、今後は利用が増えそうな感じの東宝シネコン。駅併設でありながら、駐車場完備という、街中なのか郊外なのか中途半端な山陰嵯峨野線沿線ならではの立地条件があたったのか、休日などは大入り満員である。10スクリーンのシネコンではあるが、100から200前後のこじんまりとしたスクリーンが多く、シネコンとしてはやや小さめ。雰囲気は割りと好きでプレミアスクリーンも荷物がおくスペースがあってなかなか贅沢な空間である。職場に近いこともあって最近使うことが多くなった。ラインナップは他のシネコンとほぼ同じだが、たまにB級洋画もやってくれるので重宝することが。今年は舞妓さんの踊りつき「舞妓Haaan!」上映など京都シネコンならではの企画も。

東宝シネコンでありながら、上映前に「鷹の爪」が流れない。嫌いなのか?昨年は6本、今年は7月末で4本鑑賞。




イオンシネマ久御山
京都府にはじめて出現したシネコン。ここも今や10年選手の老舗だな。車で映画を見に行く習慣がなく、ラインナップも普通のシネコンと変わらないので、ほとんど行ったことがない。実は家から直線距離で一番近いのだが。




京都文化博物館
→三条烏丸にある京都府文化施設。毎週、木曜日から日曜日まで映像ホールで日本映画の上映を行っている。500円で見れる手軽さもお得だが、映画愛あふれる詳細なリーフレットも読んでいて楽しい。ラインナップは割りと幅広いが、ほとんどが白黒。サイレントフィルムの上映をやるのも、ここぐらいだろう。一ヶ月ぐらいのクールでテーマを決めて番組を編成している。たまにびっくりするような作品をやることもあるが、近年はマンネリ化。昨年は2本、今年は7月末で1本。市川崑の「私は二歳」を見た。

犬顔家の一族の陰謀〜金田真一耕助之介の事件です。ノート

tetorapot2007-07-22


21日にシアターBRAVA!で「劇団☆新感線2007年夏休みチャンピオン祭り 『犬顔家の一族の陰謀〜金田真一耕助之介の事件です。ノート』 」の夜の部を見てきた。劇団☆新感線の舞台は今年の2月に大阪松竹座で見た「朧の森に棲む鬼」(あ、感想書いてねえや)に続いての鑑賞。前回に引き続き、今回も前列5列目の座席をゲット。やはり舞台は前で見るのに限る。ネタものは真面目に語るもんでもないし、何を書いてもネタばれになるので、感想が非常に書きにくい。だから簡単に。まあ見てのお楽しみってことで

題名のとおり、本作は「犬神家の一族」のパロディ。題名は「犬神家の一族」と「柳生一族の陰謀」も組み合わせてるようで、ポスターにも「陰謀」で使った、背景でギラリと睨む目が使われていたりするのだが、ほとんど関係なし。一箇所だけ、あの「夢でござある!」のパロディがあるが、ウケてたのは私ぐらいだった。他にも「八つ墓村」「オペラ座の怪人」や「ドリームガールズ」や映画のパロディ多数。まあ「犬神家の一族」は最低、見ておいた方がよろしい。(新・旧どっちもね)あの黒に白抜きの明朝体市川崑スタイルをそっくり真似ているのに、まず大ウケした。

ネタは割りとべた。でもそれが小波のように押し寄せてきて、たまにビッグウェーブがドッカンドッカンって感じで爆笑箇所が何箇所があった。橋本じゅんの日替わり物真似(21日夜の部は美空ひばり手塚治虫レイ・チャールズ→森繁 最後で「死んでない」というツッコミでオチ。お祭りマンボで「イメージ 不死鳥!」、畳一面に漫画を描く手塚先生、何故か日本語で歌い狂うレイ・チャールズ。。ここが一番しんどそうだった)、皆が何かに化けて潜んでいる温泉のシーン、木野花、高田聖子、山本カナコのドリームガールズ風味のミュージカルリンチ、そしてあの、湖に逆さに足がにゅっとのシーンでの馬鹿くささが最高に笑えた。ここの馬鹿さは度肝抜かれる。アホです、アホすぎます。

キャストは宮藤官九郎木野花古田新太勝地涼、高田聖子、橋本じゅん粟根まこと池田成志小松和重とめっちゃ豪華。古田と高田の出番がそんなになかったのが少し残念だったが、適度にアドリブで場を引っ掻き回していた。池田成志が何回かマジ笑いしてた。パンフレットも2800円と高いが、原作本付きで出来栄えは秀逸。遊びもここまでやればたいしたもんです。それから、このへんてこな題名ですが、ある秘密が隠されてます。。まあ、くだらんダジャレですけど。そこまでやるかって感じです。

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