蛇の道はやはり蛇〜極私的湯布院映画祭2003メモ〜

日本映画ファンにとって湯布院映画祭というのは言わば北極点である。それがどういう意味か、日程表とラインナップを見れば一目瞭然である。朝の10時から始まるその映画祭はシンポジウム、パーティーを含めると終わるのは何と午後11時。このうち休憩と言えるのは1時間だけである。昼飯を食う時間もなく、映画を見続け、のどを潤す暇もなく、映画の話をシンポで、わずかな休憩時間に唾を飛ばす。そんな日が4日間が続くのだ。しかも流される映画は半数近くが今から20、30年前に公開された映画である。それを湯布院という観光地で観光もせずにやっとるのである。うちの弟はいみじくも言った。「何故に高い交通費を出してビデオになっている映画を見に行くのか。」それもまた真実である。

映画祭を終えて勤務に戻った私だが、「湯布院映画祭、楽しかった?」と聞かれると「はあ。。」としか答えられない。ただ、今はっきりと言えるのはすごい経験であった、ということ。私の平々凡々たる人生に間違いなく、風穴を開けた。ピストルで打ち抜かれたように心にぽっかり穴が空いている。まつりのあと、である。全国より鍛え抜かれた日本映画ファンが集まるお祭。まつりのあと、は何かホッとしたようなさびしいような。。。やはり私はまつりが好きだ。

湯布院映画祭に行くきっかけになったのは知り合いにこの映画祭を大変よく知った人がいたからであり、5月、その人に連れられて湯布院映画祭の常連が集まった、ちょっとした会に参加させてもらったことである。通常の映画祭と違い、シンポジウムやパーティーを含むこの映画祭は1人ではややしんどい。顔なじみを作っておけば、パーティーの時にさびしくないだろうし、やはり1人より大勢でわいわいやってる方が楽しい。実際、パーティーの時に様々な人と喋れたし、パーティー終了後も映画ファンと熱い議論をする機会を持てた。実はこれが一番面白かった。「案ずるより産むが易し」と言うがいろんな人と言葉を交わすことができた。しかしそれでも単独参加はきつかったろうなあ、と思う。

さてこの湯布院映画祭の目玉と言われるパーティーのことだが、実はこれが一番不安だった。自分は酒がほとんど飲めず、こうした酒席の語らいというのが本当に下手くそである。実際、1日目はほとんど話ができず、1人でフラフラとさまよっていた。が2日目に多くの常連さんと言葉を交わし、深作健太氏と喋ることができた。イエイ。健太氏に親父さんのファンであることを伝え、「深作まつり」というサイトをやってることを伝え、健太氏が以前「父は映画を祭りとしてとらえていた」と言っていたことに同調した、とか喋っておった。今から考えると赤面ものでアホ丸出しだが舌打ちもせず、聞いてくれた健太氏というのはよほど、いい人だと思う。次の日も含め、かなりお酒を飲んでおり、酒というのは楽しい雰囲気だと呑めるのだなと思った。食事もなかなか豪勢でこれだけでも4000円は元をとってますな。

 褒めてばっかりではおすぎみたいで気持ち悪いので若干、厭だなと思ったことも書いておく。公式掲示板でも書いてあったが「敷居は高い」というのは私も感じた。さっきも書いたが「いちげんさん」にはしんどい映画祭だと思う。決して気軽に行ける雰囲気じゃないし、万人が楽しめる映画祭じゃないだろう。それから若い人も確かに多いんだが、実行委員の御友達がかなり多いように思えたのは私だけだろうか。これまでも様々な紆余曲折を経て、これからも変わっていくんだろうが、儲かってるんだろうか。善意で持って支えられるイベントというのは基盤がモロい。28年も続いたのはすごいことだが、この手のイベントは多少のヤマっ気を持った人が仕切らないと長くは続かない。たとえ、ミーちゃん、ハーちゃんであってもその中から来年も来てみようか、と思う人は出てくる。そうした人がいずれ常連になっていく。映画ファンの”たまご”を作る。それもまた映画祭だと思う。松田龍平を呼んだり、いろんなことはしてるようだが日本映画ばかりを扱う、稀な映画祭の割にはどこか「敷居の高さ」を感じる。

 まとめに入るが非常によい経験をさせてもらった、と思う。なんと言うか。。色々と勉強になった。今年で映画ファン5年目に入り、年間鑑賞本数も100本を超えた。まだまだこれからだと思うが、当映画祭のおかげで明確な目標の一つができた。映画にはまだまだ広がりがあり、その道は無限。この道はなかなか長く遊べそうである。これからもよろしく。