映画休暇消化中(1)〜湯布院映画祭2007メモ〜

(注)このメモは平成19年8月22日から28日まで湯布院にて開催された湯布院映画祭の極私的メモである。

書き出しには苦労し、変な書き出しから始まったことをご容赦いただきたい。

ではお読みください。多分、年内いっぱいかかる長期連載になる予定。。多分終わらん


今年で私も29歳


来年には三十路なる暗黒大陸に踏み込まなくてはならない

変な話であるが、

子供の頃、夭折なる言葉に憧れた

「○○は若くして名を挙げたが、惜しくも夭折した。享年27歳」若き才能が開花し始めた時に突如、急死する。人の価値と煙草の味は煙になって初めてわかる。惜しまれて散るなんて最高じゃないか。。

よし、俺も夭折しようとひそかに誓った中学生は十数年の歳月を経て、まだしぶとく生きている

年を取りすぎた

もはや夭折でもないし、才能の開花は無論なく、北国の桜のようにつぼみは固く固くほころぶ気配もなし。そもそも咲く花があるのか、そして咲かせる努力をしてきたのか、自分の胸に聞いてみても返事は返ってこない。

かくなる上は来年、潔く三十路を受け入れて残りの人生を生きていこう。。しかし最後の夏に何かがないのは寂しい

そしてここで湯布院映画祭の名前が出てくるのである。

この日本映画を中心にした、小さな映画祭は湯布院という山間の町でひっそりと行われている。歴史は古く、1976年に始まった映画祭も今年で32回。私がここ近年恐れていた三十路をこの映画祭は既に超えている。夭折、短命などの「滅びの美学」を物ともせずに裏日本に咲き誇る月見草のようにひっそりと咲いた野花。

その姿こそ、私が最も見習わねばならない、そして私向けの映画祭に思えたのだ。

私が湯布院映画祭に行くと周りの人に語った時、その映画祭の存在を知る人はいなかった。何故、湯布院で映画祭なのか。映画館一つない町であるし、有名な映画のロケ地になったわけでもなく、尾道のように高名な映画監督が出た土地柄ではない。夕張のように観光の目玉として作られたのか。それも違う。

しかしそこに起こった、映画好きの若者が高名な旅館の後押しで始めた、映画祭が32年も続き、しかも行政の手助けもなく、未だにボランティアで運営されている。もし映画祭で赤字が出た時には実行委員で頭割りで自腹らしいので、驚く。これも好きだからできるのである。そしてそこにちょっぴりの責任感、というか粋に生きたい心意気純粋な映画ファンとしての矜持なんだと思う。

湯布院映画祭を知ったのは、ネットでお知り合いになったおたべさんがここの常連だったからである。おたべさんとお会いしたのは私がまだ学生の、20歳の頃だから随分、古い、お知り合いである。もう9年来の知り合いとなった。私が今から数年前に東京でしくじって、京都に帰ってきた時に掲示板にこっそり書き込みしたら、随分慰めてもらったことを覚えている。いつかは行ってみたい湯布院映画祭。。いつからかそう思い出し、お友達を紹介してもらい、参加したのは2003年。全日参加には少しの勇気が必要で3日参加して引き上げた。それから4年後。2回目の参加である。人一倍、気が小さい私に映画祭を教えてくれ、背中を押してくれたおたべさんには何回、感謝しても足りません。

8月23日の木曜日。いつものようにビカビカに晴れた夏の一日。私が乗り込んだのぞみは一路、博多を目指す。前回は3日参加だが、今回は全日参加。4泊5日という、長旅がいよいよ始まった。

日頃は一人旅をモットーとする私だが、今年は道連れがいる。やじきた道中よろしく、男と二人旅である。映画に興味がない友人を連れて行っても仕方がない。彼も相当な映画好きである。映画好きの友人ができた、と言うよりは友人が映画好きになった、というのが正しい。

湯布院映画祭が始まった年に生を受けた彼は私が今の会社に入って以来の友人である。彼と私、それから二人の変人と結成した「ゆめみし会」。一ヶ月に一回、好きな企画を出し合い、遊ぶこのグループも今年で5年目を迎える。「暗闇の中で映画を見るのは悪くないと思った」と映画ファンにすんなり仲間入りした彼との二人旅。お互い、友人との二人旅は初めてである。心中、喧嘩だけは厭だなと思いながらの道行きである。これが岡惚れしてるあの娘とならなあ、、と少し思う。

彼の名前はそうだな。。実名は使うわけには行かないのでスブやんとこの日記で呼ぼう。

10時過ぎに博多に到着。ここから湯布院まではゆふの森号に揺られて2時間半である。電車に乗る前にホームで岡山の良介さんにお会いする。おたべさんのお友達で湯布院映画祭の常連さんだ。そう言えば!2003年の映画祭の時もこの博多駅で良介さんとお会いしたのだった。お互い、荷物は宿に宅配便で送ってラフな地元民みたいな格好である。この手法も良介さん伝授である。ああ、湯布院映画祭に来たんだなあ、、と思う。

最後尾の車両に乗り込むが、観客は我々と家族連れ一組のみ。当初は平日だから、こんなもんやろと思っていたが1,2,3両は割りと混んでいる。。もしかしたら、久留米あたりで突然切り離し運転されてしまうのでは。。と密かに恐れるがそんなわけもなく。(当たり前だ)客室乗務員のお姉さん(割と化粧濃い)もここの車両に入るともうお仕事終わり、みたいな感じで雑談に興じる有様。木製のしっとりとした雰囲気で積木の電車がもしあるのなら、こんな感じなんだろう。一人、音楽を聴きながらのんびりと過ごす。やがて汽車は由布院に到着した。時間は12時半。

映画休暇」と題した、私の夏休み、20代最後の夏休みがいよいよ始まった。