☆真昼の暗黒

☆真昼の暗黒 2/6 京都文化博物館映像ホール
★★★
→1951年。ある田舎町でチンピラが老夫婦を殺して金を奪った容疑で逮捕された。警察は一人ではできない犯罪である、仲間がいると考えてチンピラを拷問した。チンピラは「仲間を自白すればおまえの罪は軽くなる」という刑事の言葉を信じて、嘘をついた。土木作業員仲間の4人の名前を口走ったのだ。4人は激しく否認したが一審と二審で死刑判決を受けた。これが所謂、八海事件である。本作はその八海事件を題材にした映画である。4人は正木ひろし弁護士で弁護を依頼。裁判記録を読んで無罪を確信した正木弁護士は「裁判官」という本を出版し、4人の無罪を主張した。一方、死刑判決を下した裁判官も真っ向から反論する本を書いている。そうした背景のもと、独立プロの現代ぷろだくしょんが映画化を企画。メガホンは独立プロダクションの雄である今井正が握り、脚本を橋本忍に依頼した。「脚本家・橋本忍の世界」によると製作者の山田典吾と今井監督は「裁判官」を題材に「真相はどこにあるかわからない」ので4人は無罪であるという映画を考えていた。しかし橋本忍は「はっきりと無罪という線で行きたい」と反論し、事件を映画化することを提案した。当時、八海事件は最高裁で係争中であった。係争中の事件を映画で無罪を断定することができるだろうかと二人は悩むが「もし有罪だったら映画は二度と撮らない」という決意を固めて橋本忍に脚本を任せたらしい。当時、橋本忍は38歳。この人の才覚は脚本家の枠には収まらず、後にプロデューサーとして70年代から80年代初頭にかけての日本映画界を牽引し、「砂の器」や「八甲田山」などの傑作を連発する。時代が何を求めているか、彼はそこをすばやく読み取り、映画に取り込むことがとても巧みであった。係争中で毎日のように話題になっている作品が映画化されるのだ。これがヒットしないわけがない。東映系で上映される予定だった本作は果たして最高裁判所からの圧力で上映はまかりならんとのお達しが下り、自主上映を余儀なくされた。しかし、人々の興味はすさまじく、自主上映会場は人でごった返した。皆様、ご存知のように八海事件は映画が公開された年(1956年)の12年後の1968年に4人の無罪が確定し、終了した。映画の関係者も胸を撫で下ろしたであろう。真相は映画が訴えたとおりにまさしく、チンピラの単独犯であったのだ。時間的に4人が事件が関係するのは絶対に無理であったが検察は強引に主張。映画では4人がもし真犯人ならば、走りながら犯行を行わねばならないし、そのうちの一人は忍術で飛んでいくしかないと主張し、映画の中で実際に走りながら犯罪を行う4人をユーモラスに描いていて、法廷が爆笑に包まれるシーンを描いている。テーマがテーマなので重い映画になるのだが橋本忍はこうしたシーンを合間に投げ込み、テンポをよくしている。残された家族の描き方はドラマ的ではなくて、リアルに淡々と描いている。左幸子演じる、主人公の婚約者が途中で逃げてしまうところも割りと淡々として芝居が臭くなってないのがいい。

脚本家・橋本忍の世界 (集英社新書)

脚本家・橋本忍の世界 (集英社新書)

正木ひろし―事件・信念・自伝 (人間の記録 (119))

正木ひろし―事件・信念・自伝 (人間の記録 (119))