そして、映画館がまた一つ消える〜シネフェスタ閉館〜

tetorapot2007-04-03


 3月末に閉館するフェスティバルゲート、否、シネフェスタに行って来た。




思えば、不幸な映画館であった

 収益がよかったかどうかは知らないが、存続については映画館自身の問題ではなくて、フェスティバルゲートの事情に振り回され続けてきた

 大阪市交通局の持つ車庫に信託銀行三行によるプロジェクトが決まったのは1989年。バブルの絶頂期である。運営母体は悪名名高い第三セクターフェスティバルゲートの開業は1997年。既にバブルは終わっていた。当時、大学生であった私はデートなどでここに行きさらした苦い思い出を持っている。遊園地チックな建物にジェットコースターがからみつく、その有様は昔話でお堂にからみつく大蛇そっくりであった。当初は善戦したが、21世紀に入る頃から業者の撤退が相次ぎ、私が大学を卒業する頃には既に名高い腐れ施設であった。

 2004年、信託銀行三行が撤退を表明し、第3セクターも倒産。シネフェスタにもつぶれるのではないか、という電話が相次いだらしい。思えば、この頃からフェスティバルゲートへの世間の関心は「いつ、つぶれるか?」のみであった

 しかし、なかなかつぶれなかった。つぶすのにも、お金がかかるのである。幽霊ビルだって爆破までに何年かかったことか。

 どこにうまみがあると感じたのか、オリックスが支援を表明。全面改装して、「大阪市交通記念館」として新規出直しを図る計画であった。が、これも一部のテナントの反対で頓挫。恐ろしく安い立ち退き料だったので反発したらしい。(が、この業者も後に撤退)そして現在に至る。。その間、アトラクションは次々と廃止され、老朽化し、動くたびに苦しげな悲鳴をあげるジェットコースターを残すのみとなった。テナントのほとんどが撤退し、大阪プロレス(デルフィン・アリーナと言う稽古場兼会場 移転先あるのか?)とモスバーガー、コンビニ、そしてシネフェスタぐらいしか残っていない。広場にあったメリーゴーランドも撤去され、その空間の広さが痛々しい

 関ケ原の西軍のように総崩れとなっていく中でシネフェスタは大谷吉継のように一人、善戦したシネコンが今ほど隆盛が誇っていなかった1997年に4つのスクリーンを持つ映画館として誕生し、拡大公開系の作品に加えて、ミニシアター向けの日本映画、ヨーロッパ映画韓国映画を組み合わせて、モーニングショー、レイトショーも含めて様々な映画を上映し続けた。「単館系作品を上映するシネコン」というのがコンセプトであった。

 今でこそ、多スクリーンを持つ映画館が標準であるが、当時はまだまだ1映画館1スクリーン、北野劇場も梅田東映があった時分の話である。街中の映画館で複数のスクリーンを持つのは三番街と梅田ピカデリーぐらいであった。ミニシアターではテアトル梅田、ガーデンシネマ梅田など2つのスクリーンを持つ映画館が多かったが4つのスクリーンを持つミニシアターは今でも大阪にはない。

 最も、オープン当初はいい番組を回してもらえずに苦戦したらしい。メジャー系の拡大公開系の洋画はなんばの映画館でしか上映しておらず、シネフェスタにはヒットしているのに上映期間が終わってしまった作品、言わばムーブオーバーの作品しか回ってこなかった。当時はブロック・ブッキング制で全国一斉封切り、封切りという言葉が生きていた時代の話である。近場の映画館で見損ねた映画ファンが雑誌でシネフェスタの存在を知り、やってくる。「もう終わってしまった映画が見れるとこ」昔で言う二番館的な存在であったのだ。

 私が始めてシネフェスタに行ったのは2002年の秋。ベン・スティラー主演のコメディ映画「ズーランダー」でガラガラの確か3人か4人ぐらいで見た。笑うと映画館中に笑い声が響き、少し恥ずかしかった。それから時々する「ゴゴゴ・・・」という音が気になった。後にわかったのだが、これはジェットコースターの音であった。まあ、第七藝術劇場も隣がボーリング場でガッチャンガッチャンしてるのだが、そんなには気にならなかった。が、ここの「ゴゴゴ・・・」は結構、頻繁であった。また映画館の後ろにドアがある構造から上映中にドアを開けると光がモロに差し込む。構造上はあまりいいとは思えなかった。が、映画館にそうした配慮がされるようになったのは近年のことで当時としてはこれが普通だったのだ。以降、気になる作品が上映されるとちょくちょく行くようになった。が、京都に住む私に動物園前はそんなに近いところではなかったので、ここでしか上映されてない時ぐらいしか足を運ぶ機会はなかった。

 だから見た映画もミニシアター系の映画になってくる。2002年以降、こんな映画を見てきた。

2002年
ズーランダー 10/3 動物園前シネフェスタ4(SCREEN2)
ミーン・マシーン 10/24 動物園前シネフェスタ4(SCREEN3)

2003年
木曜組曲 1 /5 動物園前シネフェスタ4(Screen2)
8人の女たち 1/5 動物園前シネフェスタ4(Screen2)
酔っ払った馬の時間 2/7 動物園前シネフェスタ4(SCREEN2)
理髪店主の悲しみ 3/1 動物園前シネフェスタ4(SCREEN4)
GUN CRAZY Episode 3: 叛逆者の狂詩曲 5/18 動物園前シネフェスタ4(SCREEN2)
GUN CRAZY Episode 4: 用心棒の鎮魂歌 5/18 動物園前シネフェスタ4(SCREEN2)
レボリューション6 9/27 動物園前シネフェスタ(SCREEN4)
ビター・スウィート 10/10 動物園前シネフェスタ(SCREEN4)

2004年
嗤う伊右衛門 2/14  動物園前シネフェスタ4(Screen3)
ほえる犬は噛まない 3/28 動物園前シネフェスタ4(Screen4)
白いカラス 7/17 動物園前シネフェスタ4(Screen4)
誰も知らない 8/14 動物園前シネフェスタ4(Screen1)
子猫をお願い 8/14 動物園前シネフェスタ4(Screen3)

2005年
復讐者に憐れみを 3/13 動物園前シネフェスタ4(Screen4)
zoo 6/3 動物園前シネフェスタ4(Screen3)

2006年
力道山 3/21 動物園前シネフェスタ4(Screen4)

2007年
華氏911 3/26 動物園前シネフェスタ4(Screen1)
ナイトメア・ビフォア・クリスマス 3/26 動物園前シネフェスタ4(Screen2)

 結構見ているな。近年はあまり行ってなかったが2003年、2004年は頻繁に足を運んでいたのだ。特に2003年などは新年一本目がここで見た「木曜組曲」だった。「レボリューション6」と「ビター・スウィート」が思い出深い。二本ともドイツ映画の大傑作なんだが、ここで一週間しか上映が無かった。「ビター・スイート」は京都から仕事帰りで向かって、ギリギリに駆け込んだことを思い出す。「ほえる犬は噛まない」、この映画を見たあたりから韓国映画を見るようになった。本格ブームになる前から、韓国映画の上映が多く、「子猫をお願い」(二回目だったが)も「復讐者に憐れみを」もここで見た。ペ・ドゥナの主演映画をここで3本も見てるんだな、、「誰も知らない」は当時、どこの映画館も満員でここなら空いてるだろう、と。でもやっぱり満席になってシネフェスタで唯一経験した満席となった

 フェスティバルゲートがつぶれるという噂が広がる中、シネフェスタは閉館しない旨を明言。南街会館の工事により、難波地区の東宝洋画系の作品が上映されることになり、メジャー作品の上映ができることになったことか大きい。元々、遊園地に来る家族連れをターゲットにした映画館である。メジャーな作品がやっているとなるとお客は集まる。また力を入れてきた韓国映画にブームが来て、平日はおばさまがやってきた。シネフェスタは好調だったのだ。

 しかし、どれだけシネフェスタが孤軍奮闘しても本体がアレではどうしようもなかった。大谷吉継も乱戦の中で度重なる裏切りに絶望し、腹を切った。2006年に入り、映画ファンに好評であった会員の新規募集をストップ。そして9月に会員は3月末での閉館を通知を受け取ることとなる。*1

 新藤兼人の「ふくろう」という映画がある。舞台は高度経済成長時代である。田舎の山奥のまた山奥にそこに開拓団の廃墟はあった。戦後まもなく、土地を失った農民は行政の指導で山奥に開拓村を築いた。そこには希望があり、夢もあった。が、それから数十年たって村は滅んだ。生き残った母と娘は開拓団の旗を洋服に仕立てて、飯場の男を誘った。男にいい思いをさせたあとに毒入りの酒を飲ませて殺してしまうのだ。終盤、開拓村を計画した役人の息子は二人に「この計画は完全に失敗でした!父に代わって私が謝ります!」と謝るのだ。

 フェスティバルゲートも開拓村のようなものであった。典型的な第三セクターで税金の無駄遣いであるが、当時はUSJもなかったのである。宝塚やあやめ池のような古臭い遊園地しかなかった大阪で街中に遊園地を作ると言う計画はそんなに馬鹿な計画であっただろうか。シネフェスタはフェスティバルゲートがだめになってからも孤軍奮闘した。いくら世間が見棄てた娯楽施設であっても、そこで働いていたスタッフには夢も希望もあったのだ

そうした志を最後まで持ち続け、奮闘したスタッフを私は尊敬する。

 3月26日。「シネフェスタ最後の24本」で上映される「華氏911」と「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」を見た。平日ということもあり、映画館はガラガラであった。ゆったりとした待合室、掃除の行き届いた館内、妙に立派なトイレ、まだまだ新しく、閉館を迎える映画館に見えない。時代の流れとは言え、映画館が無くなるのは寂しい。映画界は好景気だそうだが、映画館は減る一方である。シネコンは増えているのだろうが、同じ番組を流す、似たような金太郎飴映画館が増えているだけで、映画ファンのいろんな映画を見たいという要望には全くこたえられていない。むしろ、状況は悪くなっている。

 私は新世界という町が好きだ。高校時代にゲームを買いに日本橋に来た時に新世界という町を知った。何をするまでもない、なんとなくこの町をぶらぶらするのが好きであった。それはやがて、シネフェスタに来たついでのお楽しみとなった。シネフェスタが無くなった今、新世界に来る機会も減るだろう。それもまた寂しい。

さらば、シネフェスタ。

ほえる犬は噛まない [DVD]

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子猫をお願い [DVD]

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ナイトメアー・ビフォア・クリスマス コレクターズ・エディション [DVD]

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ふくろう [DVD]

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*1:id:Kurobaku氏の9月14日の記事に詳しい