桂吉朝、逝く

桂吉朝師匠


桂米朝の功績は数多くあるが、そのうちの一つにホール落語会の定着があると思う。今から30年ほど前までは落語を聞くところと言えば寄席が一般的であった。数多く寄席のあった時代ならばともかく、戦後は寄席の数も減った。米朝は千日劇場閉館後、フリーになった。やがて米朝事務所を立ち上げる。当時、地域で作り始められていた多目的ホールでの落語会を活動の中心にしていったのだ。それは、それまで落語の修業と言えば寄席で漫才の間に短い噺をするだけであった若手にも大きな影響を与えた。そして、お寺の二階や地域の会館を借りての落語会、所謂勉強会が始まったのだ。私が中学の時に足しげく通ったのもこの勉強会であった。大融寺の二階大広間(今年の7月に無くなった)や北浜のコスモ証券ホール、宇治の尾長猫、京都府立芸術会館三階和室。。さまざまな場所で勉強会は開かれた。中学校が終わって会場に向かい、1000円の木戸銭を払って落語を聞く。1週間に1回ぐらいはそんなことをしていた。いろんな会があったが一番人気が高かったのが桂吉朝の勉強会であった。もう人の入りが半端ではなかった。満員の中で見る彼の講座は何故、人の入りが半端ではないかを如実に語っていた。面白いのである。間の取り方が抜群にうまかった。取り立てて変わったことはしなかったが、その語り口に酔わされた。ここに来ている人たちは何らかの手段で吉朝の面白さを知り、こうして足を運んでいる。そうしたことが嬉しくて仕方なかったのを覚えている。。中島らもの「リリパット・アーミー」の芝居にもよく出ていてそちらでもファンをたくさん作った。よみうりテレビの「平成紅梅亭」も彼と亡くなった笑福亭松葉を育てるために作られた番組だったもんなあ。。業界での評判も高かったのだ。本当に多くのファンに恵まれた落語家であった。

桂ざこばが「こんなことではいかんねん」とコメントしていたが、本当にこれは落語界において重大な損失である。ニュースを見た時、絶句した。今年もたくさんの人が亡くなったがこれほどショックであったニュースはない。数年前に胃潰瘍の手術(実は胃ガンであったのだが)で休んでいたのは知っていたがそんなに体が悪かったのか。。一年ほど前に京都市民寄席へ出演することを知って急いでチケットを買いに行ったが売り切れで果たせなかったのが悔しくてならない。やっぱ、吉朝は人気あるなあとため息をついたが、聞けるチャンスはいくらでもあったのだ。彼の落語では「池田の猪買い」「河豚鍋」「不動坊」が印象に残っている。彼が60歳、70歳になったらどんな噺を聞かせてくれるのか。聞いてみたかった。享年50歳。本当に惜しい、惜しすぎる。

おとしばなし「吉朝庵」(1)

おとしばなし「吉朝庵」(1)

おとしばなし「吉朝庵」(2)

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おとしばなし「吉朝庵」 その4 愛宕山/七段目

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おとしばなし「吉朝庵」 その5 質屋蔵/子ほめ

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平成紅梅亭 特選落語会 [DVD]

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