訃報

深浦加奈子、死去

深浦加奈子が亡くなった。享年48歳。命を奪ったのは、癌であった。5年前に癌が見つかり、それからの5年間は闘病しながらの役者生活。晩年には癌が肺に転移していたという。最後の仕事が原爆のドキュメンタリーのナレーションで無理をおしての出演であっ…

田中徳三監督、逝く

12月22日に田中徳三監督が亡くなった。享年87歳。晩年まで様々な映画のイベントに参加された方で私も数回、お話を聞かせてもらったこともあるし、サインも頂いた。今年の湯布院映画祭でお元気な姿を見ているだけにこの度の訃報は寂しい。まあ御年からすれば…

犬塚稔、死去

犬塚稔が亡くなった。1901年生まれで享年106歳。22歳の年に関東大震災を経験し、(被災はしていない)長谷川一夫のデビュー作「稚児の剣法」を監督した人なので、もはや映画史上の人であった。先日、湯布院映画祭で撮影監督の森田富士夫氏にお話を…

熊井啓、死去

熊井啓が亡くなった。享年76歳。5月18日に倒れて、病院に搬送。一時は意識も回復し、元気だったらしいが、23日に容態が急変。そのまま亡くなったらしい。遺作は2002年の「海は見ていた」。奥田瑛二によると新作の準備を進めていたらしく、企画もできていた。…

北村和夫、死去

北村和夫が亡くなった。享年80歳。昨年に盟友今村昌平が亡くなり、その後を追うように亡くなった。文学座の訃報によると4月20日に脳梗塞で入院し、肺炎をこじらして亡くなったらしい。風邪は怖い。思えば、今村昌平が亡くなった際に葬儀委員長を務めたのが北…

横山ノック、死去

横山ノックが亡くなった。享年75歳。最後までテレビへの復帰を夢見たが適わず、無念の死であった。例の事件がなければ、こんなに寂しい老後はなかっただろう。今の知事を見ておればわかるが、大阪府知事なんて共産党がならなければ誰がやっても同じなんで…

植木等、死去

植木等が亡くなった。享年80歳。近年はほぼ引退状態であったが、昨年にアルバム「50周年記念ベスト 日本一の無責任大作戦」も出ており、東宝クレージー映画も次々とDVD化されるなどちょっとした植木等ブームであった。アクションフィギュアまで出ていたの…

船越英二、死去

船越英二が亡くなった。享年84歳。もう引退もされていたし、お年もお年なのでいつか訃報を聞くこともあろうと思っていたが、いざ聞くとやはり寂しい。最近、市川崑の作品を集中的に見ていたのだが、船越さんは大映時代の市川作品の常連であった。しょっち…

鈴木ヒロミツ、急逝

鈴木ヒロミツ急逝。享年60歳。早い、早すぎる。最近まで「ちちんぷいぷい」とか出てたので、正直びっくりした。肝細胞がんだったらしいが、ずっと体悪かったんだろうか。 元々、モップスは高校時代の同級生で作られたバンドであった。鈴木ヒロミツはそのメ…

内藤昭、死去

大映の美術監督だった内藤昭が亡くなった。享年79歳。数年前、元大映の野村惠一(近年、「二人日和」を監督した)が新聞に内藤氏の病気について書いていたのを見ていたので、病気のことは知っていたが、亡くなるとやはりさびしい。 なぜかわからないが、美…

岸田今日子、死去

岸田今日子が亡くなった。近年までお元気に仕事をされていたので、入院されていたことも知らなかった。残念でならない。彼女を知ったのは「とんねるずのみなさんのおかげです」の保毛尾田保毛男(ほもおだほもおと読む。ベタだが、超インパクトのある名前だ…

青島幸男、死去

青島幸男が亡くなった。かつて竹中労は女優、作家、声優とマルチな才能を発揮した中山千夏(まだ彼女が若かったときな)を評して「駅弁才女」と呼んだ。*1カツもあれば、カマボコもあれば、エビフライもある。駅弁は重宝なもので皆に愛される。しかし、臨終…

小田切みき、死去

小田切みきが亡くなった。今年の映画人の訃報は現役から遠ざかって枯れるように亡くなるケースと老いてますます盛んとばかりに現役バリバリの人がふっと亡くなってしまうケース、先日亡くなった実相寺昭雄なんてまさにそのケース、が多いような気がする。。…

仲谷昇、死去

仲谷昇が亡くなった。享年77歳。割と若く見える俳優だったので、そんな年だったとは知らなかった。この人は舞台の人で文学座出身。後にクーデター的に集団で脱退しています。文学座は残ってる人も出て行った人もすごい、というかつてのアスキーみたいなとこ…

藤岡琢也、死去

藤岡琢也が亡くなった。享年76歳。ごま塩頭の小さなオッサン。私がこの人を初めて見たのは「サッポロ一番」のCMであった。子供の頃、八百屋や魚屋のオヤジって言えば頭に浮かんだのは「サッポロ一番」のオッサンであった。そして私はそのオッサンが大好きで…

多々良純、死去

多々良純が亡くなった。享年89歳。老け顔の俳優ってのは息が長い。この人も随分若い頃から爺さんであった。川島雄三の「東京マダムと大阪夫人」という1956年の作品で女房に頭が上がらない人事課長を演じていたが、その頃からもう初老の役柄であった。戦前か…

丹波哲郎、逝く

丹波哲郎が亡くなった。正直、ショックで声が出ない。昨年の大河ドラマ「義経」で見たのが最後になった。頬の肉はげっそりと落ち、声にも元気がなかった。この人でも年を取るのか、と残念に思ったのを覚えている。享年84歳。年に不足はないと思うが、ここ…

関敬六、死去

浅草の喜劇人、関敬六が亡くなった。享年78歳。東京に住んでいた頃、浅草の雑多な雰囲気が好きでよく行っていたのだが、幾度か「関敬六劇団」のポスターを見かけた。中学生の頃から「男はつらいよ」ファンだった私には関敬六はテキ屋仲間のポンシュウである…

マコ・イワマツ、死去

訃報が続く。マコ・イワマツが亡くなった。享年72歳。日本ではほとんど無名の存在で晩年、日本映画に数本出たことで映画ファンの間では名前が残った。しかし、経歴を見るとこの爺さんはすごい。 日系人の印象が強いが、この人の生まれは日本である。ただ、戦…

松竹芸能会長、勝忠男死去

松竹芸能の会長だった勝忠男が亡くなった。享年80歳。秋田實と手を組んで上方漫才を大きくした功労者である。この人の歩みがそのまま上方芸能であった。笑福亭松鶴も藤山寛美もこの人には頭が上がらなかったらしい。 戸田学が編んだ「六世笑福亭松鶴 はなし…

岡田眞澄、死去

訃報が続く。岡田眞澄が亡くなった。享年70歳。私のような70年代後半生まれにとっての岡田眞澄はやっぱり「ファンファン大佐」であって、一時期まで「この人はファンファン」という人だと思っていた。バラエティへの出演が多かったので、テレビの人かあの立…

今村昌平死去

今村昌平が亡くなった。享年79歳。「新宿桜幻想」が頓挫したことを知った時に多分、「赤い橋の下のぬるい水」が遺作になるんだろうなあとぼんやりと思ったが、思い入れの強い監督であったし、作品も好きだったので、訃報はやはり悲しい。瞬間、言葉を失った…

田村高廣、死去

田村高廣が亡くなった。個人の意志で葬儀は身内だけで行い、訃報も葬儀後に発表される予定だったらしい。この人らしいエピソードだと思う。享年77歳。52歳で亡くなった父親の阪東妻三郎よりも25年も長く生きた。年に不足はないが、4月初めまで映画に…

黒木和雄、死去

ショックである。長らくの雌伏を越え、「美しい夏 キリシマ」「父と暮せば」と傑作を連打し、新作の「紙屋悦子の青春」の公開を控えての死である。記事によると今月の初めまでは元気に新作の準備も進めていたらしく。文字通り急死のようだ。まだまだ撮りたい…

久世光彦さん、死去

久世光彦さんが亡くなった。あまりに突然のことで言葉もない。昨年見た「サヨナラCOLOR」に出演していた。原田知世の初恋相手という、おいしすぎる役であった。久世さんが出てきた時には「おお、そう来たか」とニヤリとした。年は取っていても充分にかっこい…

佐々木守、逝去

私が佐々木守の名前を知ったのは「男どアホウ甲子園」に原作者(漫画内にも登場)と「知ってるつもり?!」の構成を手がけた人が同じ名前であることに気づいたからである。1936年生まれ。ラジオドラマでデビュー後、「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」」「お…

伊福部昭、死去

伊福部昭さんが亡くなった。享年91歳。「ゴジラ」などの映画音楽で知られる人だが、東京音楽大の学長も歴任した音楽家でもありました。昔の映画を見てると、後に大物になる作曲家が音楽を作ってたりして驚くことがままあります。伊福部さんだけでなく、中国…

クリス・ペン死去

俳優のクリス・ペンが自宅で亡くなっていたらしい。この人の紹介となるとどうしても「ショーン・ペンの弟」と始まってしまう。この人もヴェネチア国際映画祭の助演賞を取っている俳優さんなんだが、偉大な兄貴を持つと損ですね。しかし似てない兄弟でした。←…

加藤芳郎さん、死去

今の千円札の肖像は野口英世らしいが私には加藤芳郎さんにしか見えなかった。今、見直してみてもやっぱ加藤さんがモデルじゃないか、と思ってしまう。その加藤芳郎さんが亡くなった。加藤芳郎さんと言えば思い出深いのは産経新聞で連載していた「加藤芳郎の…

マジか?大島渚死去→ガセでした

Wikipediaによると大島渚が今朝、病院で亡くなったらしい。まだニュースには何も出ていないからにわかには信じがたいが。。関係者が書き込んだのか?もしくは悪質な悪戯か?「自宅で脳出血が再発し搬送先の病院で逝去」とえらく具体的に書いているので本当の…