近頃なぜかチャールストン〜フォービートのアルチザン、永遠なれ〜

tikagoro


 今日は昨日、亡くなった岡本喜八監督の作品で「近頃なぜかチャールストン」。岡本喜八1924年生まれ。戦争中に演出係として東宝に入社するも戦時徴用に取られ、内地にて終戦を迎えます。高校時代の同級生は半分が戦死した、そういう世代でした。戦後は東宝に復帰し、谷口千吉マキノ雅弘の助監督に主に就きます。1957年、東宝が監督に芥川賞作家の石原慎太郎を抜擢したことに助監督が反発。シナリオ選考で助監督から一人、監督に昇進させることになります。岡本喜八は「独立愚連隊」と「ああ爆弾」のシナリオを提出して昇進が決定。翌年に「結婚のすべて」を撮ります。そのまた翌年に「独立愚連隊」を映画化。大ヒットとなり、東宝プログラムピクチャアの旗手となります。時代劇、アクション、サスペンス、コメディと幅広い分野で活躍し、「暗黒街の対決」「月給泥棒」「江分利満氏の優雅な生活」「日本のいちばん長い日」などの傑作を残します。

 岡本監督は76年まで東宝所属だったので東宝作品が圧倒的に多いのですが一方で独立プロでも作品を多く撮っています。勝プロで「座頭市と用心棒」も撮っていますが68年にATGで「肉弾」を撮ります。ATG映画ってのは当初はヨーロッパ映画の配給をやってたのですが、60年代後半から映画製作にも着手。ATGと製作者が折半してお金を出すという方式で当時は1000万映画と呼ばれた。岡本監督も奥さんと協力してお金を集めた。このやり方が80年代以降の監督のやり方につながっていきます。ロングランになった「大誘拐 RAINBOW KIDS」のときには自宅を抵当において制作費を捻出しています。今日、紹介するのも監督がATGで81年に三本目に撮った作品。

 この映画の製作費は1600万円。折半で800万円が監督負担。撮影の主要部分は自宅か会社のビルでやり、役者のギャラは横並びで20万で長くかかるとお金がかかるのでたった三週間で撮ってしまった。白黒フィルムで撮影はほとんどロケですませています。公開は荒戸源次郎*1プロデュースの移動式上映エアドーム「シネマプラセット」で上映されたようです。*2

 夏の暑い日。大金持ちのドラ息子の次郎(利重剛)は婦女暴行未遂で警察のやっかいになります。ブタ箱で出会ったのが変な爺さんたち。彼らは独立国<ヤマタイ国>を名乗り、一人一人が総理(小沢栄太郎)だとか逓信大臣(堺左千夫)内閣書記官長(岸田森)、文部大臣(殿山泰司)とか外務大臣(今福将雄)だとかの役職まで持っていた。翌朝、兄貴の一郎(山崎義治)とお手伝いのタミ子(古館ゆき)と一緒に自宅に帰った次郎だが爺さんたちが気になって仕方なく、探し始める。なんと爺さん達が住んでるのは家の土地で一郎は彼らを追い出しにかかっていたのだ。父親の宗親(藤木悠)は失踪癖があり、失踪したまま。彼らは父親から借りていると主張しているのだが、一郎は聞かない。警察の方ではベテラン刑事の大作(財津一郎)が新米のドジ刑事、中町(本田博太郎)を連れて宗親を探していた。

 次郎はなりゆきでヤマタイ国に帰化してしまい、労働大臣としてヤマタイ国に住み着いてしまう。毎朝、ラジオ体操を流しながらやってくる変なチリ紙交換の軽トラで一日が始まり、下働きばっかりという毎日であったが次郎はこの国を気に入ってしまい、タミ子も連れてくる。一方、一郎は宗親と次郎に多額の保険金をかけて、ヤマタイ国もろとも葬ろうとしていた。アイスピックの殺し屋飯室(寺田農)は彼らを虎視眈々と狙っていたが、元ヤクザの陸軍大臣田中邦衛)以外に誰も気づいてなかった。

 81年当時は私は三歳だったので、知りませんが当時はチャールストンが大流行だったようです。監督の作品を撮ろうと思ったきっかけは自分が若い頃に流行ったチャールストンを今また聞いてると右傾化している現代が軍部が台頭してきたあの頃とそっくりでなんか嫌な予感がしている。「肉弾」のあいつが生きてたら国を作ってんじゃないかというところから出発したそうです。ヤマタイ国の老人は皆、戦中世代で次郎を相手に戦争について語るシーンがあります。なるほどねえ。この映画が作られて30年以上もたつわけですが今でも充分に通じる、いや戦中世代のほとんどが高齢化している現在は余計に通じる問題でもあります。岡本喜八の独立プロの映画は戦争に対する思いと国に対する不信感が語られています。

 会話のやりとりが多いですが、変わらぬ軽やかなテンポが楽しい。キャストもそれぞれが違った持ち味を出しててすごく面白い。ヤマタイ国の老人は小沢栄太郎を始め、どこかのんびりとした感じの喋り方で映画にテンポをつけている。田中邦衛は少し異質なのですが、一人だけ違った感じがまた映画にアクセントをつけている。それは関西弁の殺し屋を演じた寺田農やドジな刑事を演じた本田博太郎も然り。ドラマの刑事を真似してドジばっかりの本田博太郎が実に楽しいのだ。一人だけ常識人だった財津一郎の刑事も飄々とした感じがいい。この映画で主人公の次郎を演じて、脚本も書いた利重剛はこれがデビュー。「金八先生」で知られる小山内美江子の息子さんです。現在は俳優も監督もやってて、最近では「クロエ」を監督しました。それからチョイ役ながら伊佐山ひろ子が大変に色っぽかったねえ。

低予算で短期間の悪条件でもこんなに面白い映画が撮れる人が90年代になって映画が撮れなくなったというのはもったいない話だ。山田風太郎の「幻燈辻馬車」を映画化する予定もあったようですが監督の体調の悪化で果たせませんでした。志半ばで亡くなったというのがなんとも残念で。。合掌。

監督、脚本、製作:岡本喜八 製作:佐々木史朗 脚本:利重剛 撮影:加藤雄大 音楽:佐藤勝
キャスト:小沢栄太郎利重剛殿山泰司藤木悠、山崎義治、小畠絹子、古館ゆき、財津一郎本田博太郎田中邦衛、今福将雄、千石規子堺左千夫岸田森平田昭彦、滝田祐介、寺田農光石研伊佐山ひろ子

*1:この方式で鈴木清順の「ツィゴネルワイゼン」や「陽炎座」をヒットさせていた。後に阪本順治「どついたるねん」をプロデュース。最近、「赤目四十八瀧真心中未遂」を監督。ロングランになった

*2:シネマプラセットってのは私も見たことはないんですがここのブログに写真が紹介されています。→http://sayonarako.exblog.jp/i8