よいお年を

加藤ローサ


 今日で今年も終わり。例年、年末は割りと更新してるんですが、今年は時間が足りませんでした。今月は風邪に祟られました。仕事のお付き合いで嫌々ながら出た駅伝大会で見事に引き込みました。しかもたった1キロの距離でもうバテバテ。当日は激しく咳き込み、次の日にはひどい関節痛。体調が戻るのに時間がかかりました。ショックだったのは遅いとか体力ではなくて、回復力のなさ。ジムで走ったりしてたんで、割と体力には自信があったのにこの体たらく。やはり年か、年なのか。。

 同日、10年前に卒業した高校を見る機会がありましたので、あわせて時代を感じさせる結果となり、少し落ち込みました。まあ10年前から体力なかったんで、こんなもんなんですが。体力の方は勤務地の変更でジムから足を遠のいたこともあったので、来年からはきちんと定期的に通うつもりです。しかし思った以上に体力が落ちていた。やはり習慣は大切なのですね。

 今年は節目の年の前年というか、自分の中ではたいしたことない年だったのですが、まあいろいろありました。一番大きいのは異動ですな。入社から3年間働いた職場、田舎の支店だったんですが、本社に異動。本社は忙しいぞ、と言われてたんで覚悟はしておったんですが、仕事の内容は大きく変わったものの、慣れてしまえば、前職場と同じくらいの事務量で生活のスタイルの変化はありませんでした。仕事はそんなもんで、、あとは、、それでもいろいろあったか。

 私も28歳と若くないので、そろそろ将来というものを考えねばならない機会でもあり、いろいろと考えざるをえねばならなくなってきました。まあ言わば、女性とのお付き合いと言うことで古くからの読者ならばうすうす感じられていると思いますが、興味がない、というか疎いというか。。そうした艶っぽい話もございませんのでどうしたものかな、と。この年でのそうしたことは即結果、つまり婚礼ですな。油断なりませんが、これも相手がなければどうにもならん問題なので、どうにもなりません。

 今年の映画鑑賞本数(スクリーンでの鑑賞本数ね)は本日の「ゆれる」(2回目)で184本。3年ぶりに200本割りました。それでも2日に1本は見てたことになるんで、まあ今年もよく見ました。最も、毎年の傾向ですが約半分が日本映画のリバイバル上映で高槻松竹セントラルで見てますんで新作の鑑賞本数は年々減っています。今年いつもなら見ていたと思われる作品も見逃してますしね。「ダ・ヴィンチ・コード」や「X-MEN ファイナル・ディシジョン」や「LIMIT OF LOVE 海猿」など大作でも結構見逃してます。何年か映画見てると自分の好みもわかってきますので、自分の好きな分野ばっかり見てしまいがちなんですが、ダメかなと思った作品に案外、拾い物があったりして(「ただ、君を愛してる」、「手紙」、「県庁の星」とか)で、嬉しい期待外れというべきでしょうか、これが楽しくて毎年100本以上は見るようにしている、まあ醍醐味ですな。

 今年は世間一般では日本映画の当たり年で洋画邦画のシェアがひっくり返るんじゃないかと言われています。確かに数年前のドン底に比べれば、レベルも格段に上がってますが、まだまだブームに乗った形での隆盛と言わざるを得ません。フジテレビ、角川が二大メジャーとしてテレビ局、映画会社が伴走する形で態勢は整ってきましたが、DVDやテレビ放映での資金回収の仕組みが出来上がっただけで「日本映画の強みはここだ!」という視点を持ったプロデューサーは皆無であります。

 「ラストサムライ」は日本映画が時代劇でやらねばならない映画でしたが、「硫黄島の手紙」もまた日本映画で撮らねばならなかった戦争大作映画でありました。観客が何を望むか、ハリウッドのすごさはそうした観客の見たい映画を作り、そして同時に作品に映画監督の思いを乗せて、観客に何かを学ばせる。アメリカで映画が国を代表する文化となっているのは作り手にそうした意識があり、観客もまた映画を見る期待に胸膨らませて、映画館に足を運ぶ。観客の期待にこたえ、観客をまたもや映画館に足を運ばせる、そうしたハリウッドの作り手のような高い意識が日本の作り手にあるか。残念ながら日本では映画が国を代表する文化にはなっていません。しかしブームで人の目が向いている今がチャンスではあると思います。そのチャンスを認識している人がどれだけいるか。監督、俳優は気づいていますが、プロデューサーにはいないですな。

 興行的にはコケましたが、一瀬隆重が「犬神家の一族」をリメイクしたのには意味がありました。30年前、「犬神家の一族」の大ヒットで角川映画は幕を開け、新しい日本映画の地平を築きました。そして作品は同時代に生きるものの記憶となりました。リメイクはその時代を生きた中年世代に映画の記憶を思いこさせ、そしてそこに今の世代の映画ファンを流入させて、記憶を共有化させようと考えたのではないでしょうか。日本映画が新しい方向に向かおうとしていた、その記憶を現在に重ね合わせる作業でした。そこに狙いがあったように思えます。

 年明け早々にはベストを発表したいと思います。今年は感想もほとんど書けなかったなあ。。もっと早く書ければいいんですが、文章が下手なのでどうしても時間がかかってしまう。。来年はなるべく即時的に。。いやできないことを書くのはよそう。一年間、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。また来年も読んでいただくと幸いです。皆様、よいお年をお迎えください。

2006年12月31日 自宅にて