十月花形歌舞伎 通し狂言染模様恩愛御書 細川の男敵討

十月花形歌舞伎 通し狂言染模様恩愛御書 細川の男敵討 10/18 大阪松竹座
★★★★★
→18日に大阪松竹座で「十月花形歌舞伎 通し狂言染模様恩愛御書 細川の男敵討」を見てきた。出演は市川染五郎片岡愛之助市川猿弥市川春猿市川段治郎。歌舞伎はストーリーが結構ぶっとんだものが多く、その発想の奇想天外さに驚かされることが多いが本作もまさにそうでテーマは何と衆道、つまり男同士の恋である。それに加えて細川の家来でお家の家宝を火事から守るために割腹して腹の中に入れて守護した「細川の血だるま伝説」(どうも細川家には「阿部一族」と言い、この手の気が狂った美談が多いような気がする)から題材を取ったグロを加えた、言わばキワモノである。なお、「細川の血だるま物」は多くの狂言のネタ元になり、「血だるまもの」という分野までできたらしい。ジャンルを作るまでに有名な狂言であったらしいが、明治時代に入ると衆道はけしからん、という風潮が出てくる。寺小姓を腰元として上演したこともあったらしいが、衆道の関係を結んだ男たちが義兄弟となり、仇討ちを果たすところに面白みがある狂言なので、すっぽり面白みが抜けてしまい、すたれてしまったらしい。久しく上映が耐えていたのが復活。実に一半世紀ぶりのこと。歌舞伎ってのは他の芸能と時間軸が違いますな。まあ能とか狂言はもっと古いんでしょうが。

 舞台は浅草の浅草寺。侍の大川友右衛門(市川染五郎)はここで運命の人と出会う。相手は細川藩の小姓、印南数馬(片岡愛之助)。二人がすれ違った際に数馬は手にした杜若を落とす。友右衛門、これを拾って数馬に手渡す。目と目が合う。そして二人は恋に落ちた。数馬に逢いたさに毎日のように浅草寺に通う友右衛門。愛しい数馬に出会えた友右衛門は袖の汚れを払うふりをしてこっそりと文を数馬の袖に忍ばすのであった。この恋愛模様をラブコメ風味に茶目っ気たっぷりで描き出しているのが面白い。友右衛門は数馬への恋慕が抑えられず、ついには侍の身分を棄てて細川屋敷に中間奉公と相成る。そして再び再会する二人。数馬は仮病を使って屋敷に友右衛門を招く。。二人は遂に関係を持った。ところが数馬に思いを寄せる腰元のあざみ(市川春猿 超名演!)のチクリによって数馬、そして長持ちに隠れていた友右衛門共々、殿様(市川段治郎)の前に引っ立てられる。全てを告白した二人はお互いをかばった。「全ての罪は私になります。どうぞこの男だけは。。」数馬の父は彼が幼い頃、横山図書(市川猿弥)という侍に討たれた。数馬は仇討ちを心に誓っており、逢瀬の後に友右衛門にも打ち明けていた。友右衛門は義兄弟の契りを結び、共に仇討ちをすることを誓っていた。殿様は二人の心根を愛し、許した。さらに友右衛門を士分に取り立て、召抱えたのだ。ここのシーンなどは明らかにありえん話なんだがそこが歌舞伎。「勿体のうございます」と平伏する友右衛門への殿様の言葉がすごい。「細川は下れば(友右衛門の名字である)大川になるではないか。余に忠義を尽くしてくれ」。この、微笑ましい器大きすぎの殿様がとても素敵だ。

 横山図書を遂に討ち果たした二人であったが図書の放った火で細川屋敷は燃え上がった。友右衛門は火事の中に飛び込み、神君家康公から賜った御朱印状を守ろうとする。しかし、火の回りは早く、もはや脱出は無理であった。友右衛門は腹を切り、朱印状を腹の中に押し込み、守りきった。この火事のシーンがすごい。サーチライトにスモークを使い、大火事を再現。舞台だけでなく、客席にもスモークは炊かれて臨場感たっぷりの火事場を再現していた。図書が放つ火矢には本火を使用。(最も、すぐに消えてしまうが今の消防法ではこれが限界だろう)ところどころで講釈師(旭堂南左衛門)が講釈の口調で筋を説明してくれるのだが、火事、腹切りのシーンでは声の限りに叫ぶ、叫ぶ。「腹を切った友右衛門は肝臓、腎臓、大腸をひきだした!これが本当のかんじんちょう(勧進帳)!」なんかやってる。普通にやったらグロになってしまうシーンを笑いにまぶしてしまう、という工夫がうまい。殿様を愛すべき人柄に描いたのも、この「忠義」の異常性を薄めている。なるほど、この殿様ならば命尽くしてもおかしくないと思える。

 この狂言を見て思ったのは、衆道と男の友情との近似性である。「ブロークバックマウンテン」の際にも感じたが、男が男に惚れるってのと男の友情ってのはほとんど違わないのではないか。一線を引くとしたらやはりそれは肉体関係で、多くの男はそこを超えられない。しかしそこを越える男の友情、それは日常から生み出されるよりも突発的な出来事から生まれてくるのであろう。残念ながら私はそこまでの友情を感じた相手も出来事もないが、そうした友情は羨ましいとちと思う。