イブラヒムおじさんとコーランの花たち

ibura


 その昔。子供はその家だけの子ではなくて、地域の子供という考えがあった。子供を育てるのは学校だけでもなくて、親だけでもなくて地域全体の子という考えだ。もちろん、それには一人で子供を育てるのが困難なほど、皆が貧しかった実状があった。親にとっても子供にとってもそれがよかったのだ。今は個人が裕福になって”地域の子供”という考えがすっかりすたれてしまった。今日、紹介する「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」はそうした”地域の子供”という考えが生きていた時代の物語。

 1960年代初頭のパリ。華やかな表通りを裏に入った下町のブルー通にユダヤ人の13歳の少年、モモ(ピエール・ブーランジェ)は父親と二人暮しをしていた。母親はモモが生まれてすぐに離婚。ポポルという兄を連れて出て行ってしまった。父親はうだつがあがらず、家でもモモには小言ばかり。一言目に「ポポルはいい子だったのに」、そして「なのにおまえは。。」と続ける。モモにとってはいい父親とは言い難がった。

 モモの住む家からの風景は13歳の少年には教育によろしくなかった。真昼間から娼婦が街中でうろうろしているのだ。彼の関心事は一刻も早く、”大人”になることだった。子どものときから小銭をためてきた貯金箱。彼はえいや、と叩き割ると小銭をつかんで表へ駆け出した。近所の”アラブ人の”食料品店へ両替に。「16歳だよ、もう大人だ」。彼は晴れて大人になったのだ。

 ある日、ブルー通で映画の撮影が行なわれていた。女優(イザベル・アジャーニ)が”アラブ人の”食料品店で買い物をした。水に5フランの値段をふっかける店主のイブラヒムにモモは「ぼったくりだね」と声をかけた。「君がくすねた分を取り返さなきゃね」モモが買い物のたびにこっそりと万引きをしていたことをイブラヒムおじさんはお見通しだった。うろたえるモモにイブラヒムおじさんはこう続けた。「万引きを続けるのならうちの店で続けなさい。」と言い、にっこり笑いかけて手招きした。イブラヒムおじさんはモモを可愛がった。モモも様々な悩みを相談するようになった。やがて父親は仕事を解雇されて蒸発してしまった。モモは激しいショックを受けるが、イブラヒムの助言を得て、たくましく育っていく。。

 一口で言うと不幸な子供と孤独な老人との心の交流を描いた、シリアスなドラマなのですがブルー通のごちゃごちゃした感じを舞台にしてユーモアたっぷりに描いているので楽しんでみてられます。モモが父親の蔵書を売り払って女を買いにいくシーンとかあるしね。イブラヒムおじさんを演じたオマー・シャリフもモモのピエール・ブーランジェの笑顔が素敵で大変に微笑ましい。映画を見ているこちらも自然に顔がほころんでくる。この二人のキャスティングが大変に成功している。「アラビアのロレンス」などで知られるオマー・シャリフの存在感が素晴らしい。映画の中でイブラヒムおじさんが笑顔の効用を教えるシーンがあるが、映画を見てると納得してしまう。イブラヒムおじさんのイメージは原作者(脚本も担当)のエマニュエル・シュミットの祖父だそうです。生涯を通じて職人として過ごし、物静かに笑顔で優しく語りかけるような祖父でエマニュエルは大変に影響を受けたようです。「人はふたつの場所に生きている、一つはベッド、もう一箇所は靴」。イブラヒムおじさんが「足を取り替えることはできないから」と靴を買うシーンが思い出されます。

 父はイブラヒムおじさんがイスラム教徒なので軽蔑の意味をこめて「アラブ人」と呼んでいたが、彼は実はトルコ人イスラム教の神秘主義者のスーフィ-教徒でコーランの教えに忠実に静かな暮らしを送っている。その彼とユダヤ人のモモが交流を深めるという設定も寓話的でいい。イスラム教というのは自爆テロや首切りなどで限りなくイメージが悪くなっているがそれが全てではない。イスラム教は非常に現実的な教えで多くの人に支持されてきた。そうしたイスラム教の一面を知るのにもいい映画だと思う。ぐるぐる回って悟りを得るというのはよくはわからないが平和的でいいじゃないですか。フランスと言えばキリスト教のイメージが強いがフランス人の三割はアフリカ系でイスラム教も多く入り込んだ多民族他宗教国家なのだ。

 フランス映画らしい丁寧に作りこまれた作品で心地よいテンポでぐいぐい惹きこんで行く魅力を持っています。下町の騒然とした雰囲気も食料品店の内装も落ち着いていい感じです。

監督、脚本:フランソワ・デュペイロン 原作、脚本:エリック=エマニュエル・シュミット 撮影監督:レミ・シェブラン 美術:カーチャ・ヴィシュコフ 音楽:フランソワ・ヂュペイロン
キャスト:オマー・シャリフ、ピエール・ブーランジェ、ジルベール・メルキ、イザベル・ルノー、ローラ・ナイマルク、イザネル・アジャーニ

「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」サウンドトラック

「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」サウンドトラック