紀伊田辺を歩く〜何度目だ、和歌山〜

 青春18切符が余ったとのことで紀伊田辺まで行って来た。私の旅はほとんど一人旅なのだが、今回はお供である。朝の7時に京都駅。大阪行きの新快速に乗り込んで出発である。

 和歌山に行くのは初めてではない。というか紀伊田辺に行くのは5回目ぐらいである。和歌山は関西から近場であり、温泉も多い。しかも食べ物がうまい。貧乏旅行にうってつけで学生時代からよく出かけた。大阪から紀州路快速に乗り込み、9時半にはもう和歌山である。ここからは普通電車。まずは御坊行き各駅停車に揺られる。

 御坊駅につくと0番線に紀州鉄道が止まっている。大正から走っているような、古びたこじんまりとした電車である。

 鉄ちゃん(鉄道オタク)が見たら狂喜しそうだが、そうでない私でも心惹かれるものがある。乗客には観光客や旅行者らしい人は少ない。わざとらしい観光名物ではなくて、ちゃんと住民の足になっているのがよい。新しい車両もあったがパチ屋の宣伝がデカデカと書いてあって興醒めであった。まあ仕方ないことだが。

 御坊から今度は紀伊田辺行き。和歌山の各駅停車は御坊行き、紀伊田辺行き、新宮行きとぶつ切りで遠くに行くのには乗り換えせねばならない。新宮行きは微妙に連絡が悪く、1時間ほど時間が空いたりする。やっぱり和歌山はオーシャンアローでということか。11時半には紀伊田辺につく。

 この日は夕立が多く、降ったりやんだりであった。実は雨男な私はお連れには黙っていたが、雨はバスに乗っている間やご飯時だったのでよかった。まるで地元住民のように、紀伊田辺では必ず立ち寄る「宝来寿司」に向かい、食事。その後、南方熊楠の旧居に向かう。

 今から6年前。初めて一人で白浜にやってきた私は南方熊楠記念館に立ち寄った。それ以来、南方熊楠のファンである。本も随分読んだし、紀伊田辺にある墓に行ったこともある。昔から玄関と庭は見学できた旧居は綺麗に整理され、見学できるようになった。そして隣に南方熊楠顕彰館なる立派な建物もできた。普通の住宅街にあるので少し驚く。旧居の案内をしてくれたおばさんは熊楠の奥さんの親戚筋であった。この旧居には熊楠の娘夫妻がしばらく住んでいたが、その娘さんも世を去り、このおばさんが面倒を見ていたらしい。今までは熊楠の人間性が注目されていたが、これからはその研究について本がたくさん出るらしい。

 田辺の観光案内所で本日の目的地である奇絶峡について聞く。バスの便が悪く、2時間ほど帰りのバスがやってこないらしい。せっかくだから、紀州備長炭発見館(以下炭屋)にも寄ったらどうかと。しかし、地図を見る限りでは恐ろしく距離がある。歩いては無理ではないか、と聞くが30分ほどで歩ける、とのこと。私は以前、紀伊田辺でレンタサイクルを借りてひき岩群を見に行ったことがあったが、恐ろしく遠かった。遠いのもあるが、車がびゅんびゅん走る道路をチャリで走るのは怖い。まあ観光案内所が言うなら間違いないと思うが。。しかしバスの案内所で炭屋から奇絶峡まで歩く、と言うと売り場のおばさんは首をひねった。「まあ観光案内所が言うなら間違いないでしょうが。。」旅行者とあまり変わらない。普通は車で行くところなんだろう。タクシーもあるので、よかったら使ってくださいとタクシー会社のティッシュをもらう。これが役に立った。

 龍神温泉行きのバスが来た。ボロい。田舎の風情を通り越してただの古いバスである。道路もひどいのか、揺れがひどい。また田舎の山道をすごい勢いで飛ばす。20分ほど走ったところで奇絶峡が見えてきた。さてここから、炭屋まではどれぐらいなのか。ぐっと手に力が入るが、すぐに抜けた。

バスはトンネルに入ったのだ

皆さんはトンネルを歩いたことがあるだろうか?私は和歌山の熊野で川湯温泉から渡瀬温泉まで歩いた時にトンネルの中を歩いたが、車が通り過ぎる音がエコーで響き、めちゃくちゃ怖かった。トンネルを歩く勇気はない。。紀伊田辺観光案内所のおばさんには気をつけろ!あいつらはきっと歩いて観光をしたことがない!炭屋についたが入る気も起こらず、バスの案内所でもらったティッシュを見てタクシーを呼んだ。中国人の団体と思われる観光客が炭屋にどかどか入っていったが、面白かったんだろうか。

 奇絶峡を見て田辺市内に帰る。扇ヶ浜まで4000円なり。田舎の電車旅はタクシーが便利なのだが、一人旅では懐にしんどい。複数の旅ならば、割れるので助かった。扇ヶ浜はいい天気だった。太平洋。海を見るのは随分久しぶりであった。

 帰途、和歌山駅でご飯を食べて電車で揺られながら帰る。家に帰ると日付が変わっていた。大変長い旅であったが、楽しい旅であった。青春18切符の旅の醍醐味を久しぶりに思い出せた。やはり旅はよい。


う〜ん、、見事に味気ない旅日記だな。。つまらん。。