街(かわらまち)の灯よ、ありがとう ラストショー

スカラ座


 土曜日、日曜日と「街(かわらまち)の灯よ、ありがとう ラストショー」に行ってきた。今日で京都スカラ座、京都宝塚、京極東宝が閉館する。スカラ座と宝塚が入った映画館が1935年の開業で京極東宝は1954年の開業と言うのだからもうとんでもなく古い映画館だ。映画館を閉館するだけでなく、もう会館自体を壊してしまうのだスカラ座、宝塚の跡地はユニクロを中心とした商業施設に京極東宝はビジネスホテルになるらしい。正直、そこまでするかと思うが、これが東宝の徹底したドライな生き残り戦略なんだろう。70年代に日本映画の調子が悪くなってきた時に製作を中止し、配給と上映に専念する方向を打ち出したのも東宝であった。業界ナンバー1大手のあまりにもあっさりとした退却姿勢は当時から批判したらしいがそれぐらいのしたたかさがないと企業寿命30年説が当たり前の時代に老舗を守ることはできないのだろう。これぐらいのことは当然なのかもしれない。

 東宝は数年前、東宝グループの象徴的な存在であった北野劇場の名前を簡単に棄ててしまい、伝統のある劇場を真っ二つに引き裂いて二つの映画館にしてしまった。3つの大型劇場を分割し、スクリーンを増やしたのだ。一般的にシネコンは車利用者を観客に考え、広い駐車場を確保できる郊外に作られるのが基本であった。が、東宝は街中にぶち立てたMOVIX京都や梅田に出現した梅田ブルク7の成功を真似て梅田の直営館をナビオTOHOプレックスというシネコンもどきに作り変えた。しかしこのシネコンもどきが今では主流になりつつあるのだからすごい。おそらく、地名に東宝や松竹、東映がついた映画館はあと3年以内になくなるであろう。松竹は既に直営をシネコン方式に切り替えているし、東映はもはや直営を維持できるような状態ではない。前にも書いたが河原町の映画館も決してそんなに経営は悪くなかったらしいが、シネコンに転換できないことがはっきりしたこととTOHOシネマズ二条が予想以上に成績を上げているので閉館を決定した。

 しかし、自らのことを省みると確かに足を運んでいなかったのだ。高槻にシネコンができてから(2004年2月)は本当に行かなくなったスカラ座や宝塚は昔から一年に一回も足を運べばいい映画館であったが京極東宝は割りと利用していた映画館であった。それが昨年に見たのは宝塚で見た1本のみ(交渉人 真下正義)で土曜日に「また逢う日まで」を見たスカラ座に至っては実に3年ぶりであった。確かにシネコンができてからは足が遠のいていた。京極東宝についてはあの狭い劇場で座席指定制など始めたのではっきりと敬遠していた。

参考に私が1998年から2006年までにここで見た映画を挙げておく。

京極東宝

1998年
仮面の男 8/11 京極東宝1
スライディングドア 12/10 京極東宝3
1999年
のど自慢 2/19 京極東宝
メリーに首ったけ 3/5 京極東宝
パッチ・アダムス 3/29 京極東宝
シックスセンス 12/29 京極東宝
2000年
雨あがる 1/25 京極東宝1
エニイ・ギブン・サンデー 6/9 京極東宝
インサイダー 7/5 京極東宝
チャーリーズ・エンジェル 12/13 京極東宝1
2001年
回路 2/15 京極東宝
ふたりの男と一人の女 3/2 京極東宝3 
スナッチ 3/29 京極東宝
ミート・ザ・ペアレンツ 4/9 京極東宝1
2002年
ミスタールーキー 3/29 京極東宝
スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃(吹き替え) 7/19 京極東宝
猫の恩返し 8/24 京極東宝
ギプリーズ episode2 8/24 京極東宝
サイン 9/28 京極東宝
チェンジング・レーン 11/12 京極東宝
マイノリティ・レポート 12/30 京極東宝
2003年
レッド・ドラゴン 2/18 京極東宝
タキシード 3/16 京極東宝
ノー・グッド・シングス 3/26 京極東宝
デアデビル 4/18 京極東宝
クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード 4/20 京極東宝
X-MEN2(日本語版)5/5 京極東宝
ロボコン 9/15 京極東宝3
リーグ・オブ・レジェント/時空を越えた戦い〈吹替え版〉10/18 京極東宝3
フォーン・ブース 11/22 京極東宝
2004年
ニューオーリンズ・トライアル 2/7 京極東宝
ラブ・アクチュアリー 3/23 京極東宝
N.Y.式ハッピー・セラピー 4/17 京極東宝
2006年
ALWAYS 三丁目の夕日 1/21 京極東宝


京都宝塚

1999年
秘密 10/28 京都宝塚
2000年
ISOLA 13番目の人格 2/26 京都宝塚
リング0 バースディ 2/26 京都宝塚
どら平太 5/22 京都宝塚
五条霊戦記 10/11 京都宝塚
2001年
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 4/21 京都宝塚
2002年
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 5/8 京都宝塚
2003年
黄泉がえり 1/25 京都宝塚
13階段 2/16 京都宝塚
スパイゾルゲ 6/14 京都宝塚
2005年
交渉人 真下正義 8/24 京都宝塚


京都スカラ座
1998年
タイタニック 2/23 京都スカラ座
プライベートライアン 10/20 京都スカラ座 
1999年
アルマゲドン 1/6 京都スカラ座
スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 9/13 京都スカラ座
2000年
スリーピー・ホロウ 3/14 京都スカラ座
2001年
キャスト・アウェイ 4/16 京都スカラ座
2002年
スパイゲーム 1/28 京都スカラ座
ロード・トゥ・パーディション 10/21 京都スカラ座
2003年
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン 3/28 京都スカラ座

京極東宝
 やはり、よく行ったのは地下の劇場ではなく、4階の劇場の方である。印象深いのは1998年に見た「スライディングドア」、1999年の「のど自慢」、2002年の「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」。「スライディング・ドア」は初めて一人で見に行った映画で、1999年の「のど自慢」は日本映画に興味を持つきっかけになった映画で二回続けて見た。(当時はまだ入替制は一般的でなかった)「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」は試験の一次試験が合格した日に見た映画で実に久しぶりの映画だったのでめちゃくちゃ興奮していたことを思い出す。

京都宝塚

 やはり子供だらけの映画館でクレヨンしんちゃんシリーズを見たのが思い出になっている。特に「オトナ帝国」は前の会社に就職する二日前に見た映画でもうぐしゅぐしゅになって見た。段差があり、割と見やすい映画館であったが設備は一番古く、椅子の間が大変に狭い、古臭い映画館であった。東宝の邦画の印象もあってお寒いイメージしかない。

京都スカラ座

 私が映画に興味を持ったきっかけはここで見た「タイタニック」であった。映画を見始めた頃、スカラ座で流れる映画は大ヒット作でメジャー作品だという意識があって、常に流されている作品はチェックしていた。が、足はやはり向かなかった。スカラ座で流されているような作品はなんか見たくなかったのだ。まさか3年近くも行ってなかったとは。。真ん中に2002年ぐらいからだったと思うが、プレミアシートかなんかそんな名前で特別なシートを設け、特別料金を取っていた。もちろん、座ったことはないし、利用者もそれほど多いようには見えなかった。勝手に座らないように空いている席にダンボールをおいたり、見張りを立てたりとかしていたがあんまり成功しなかったようで昨年の9月にやめている。本日の上映ではじめて座ってみたが確かにすわり心地はよい。ただ、シネコンのプレミアシートには負けているし、特別料金を出してまで座りたいものではないだろう。ここは一人で行くよりも友人と見に行く機会が多かった。高校生のときに「インデペンデンス・デイ」を見た思い出も深い。

 こうして考えてみると色々と思い出のあった映画館であった。ファンなんて残酷なものでつぶれる時に限って色々と思い出してノスタルジーに浸ったりする。が、経営者からすれば、「おまえらが来てたらつぶれんですんだんや」と舌打ちしたくなるだろう。ただ今度の閉館は経営悪化ではなくて、東宝の方針によるものではあるのだが。。映画館が無くなることもだが、宝塚の1階にあったブックファーストが無くなるのに思いがいく。ここはかつて駸々堂という本屋で高校生からよく利用した本屋だった。京阪三条で降りて、駸々堂で本を見てから四条河原町まで歩くと言うのが私の下校風景であった。映画関係の書籍の品揃えもよくて、重宝していた。

 映画館、本屋ということを超えてここは河原町の風景であった。いつまでも変わらない町並みというのはありえないのだが、どんどんと見慣れた町が変わっていくのは漠然とさびしい。本日のスカラ座での「ベン・ハー」は大入り満員で立ち見まで出た。上映後にどこからか拍手が起こり、それが広がっていったのが印象的であった。さらば、京都スカラ座、京都宝塚、京極東宝また逢う日まで

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