スペルマン病院の人々

さて旅行中も様々な事件がありましたが、一番大きかったのはやはり仙台の新生児誘拐事件ですな。借金苦の為に子供を誘拐して、身代金を要求するなんざあ、随分古典的な犯罪だと思いました。東北の人はやっぱ純朴なんだろうか。フィリピーナを嫁にしてるってのもらしいわね。なんか70年代の犯罪みたいで吉展ちゃん事件を彷彿とさせますな。昨今のなんだかわからない、子供をさらってすぐに殺しちゃう事件に比べるとわかりやすい事件です。最もそれは子供が無事に保護されたからであって本当によかったです。犯人も下関駅燃やしたクソジジイに比べると何ぼかマシな人だと思います。
しかしNHKのニュースでまさか「スペルマ」という単語が聞けるとは思いませんでした。飲んでたジュースを吹きそうになりました。光ヶ丘スペルマン病院という病院で起こった事件ですから、病院名とばすわけにはいきませんわね。調べてみるとこのスペルマンという名前は人名でした。以下は病院のサイトから引用。

昭和27年頃、カトリック北仙台教会の主任司祭、ピエール・ビソネット神父は、結核に悩む貧しい人たちのために無料で治療する病院を建てようと、当時仙台に駐留していた米軍およびその家族から寄附を集め、来日中のフランシス・J・スペルマン枢機卿(ニューヨーク大司教)の援助を得て資金を準備しました。さらに東北大学医学部の診療面での全面的な支援を受けて、昭和30年カトリック仙台教区が80床の結核病院として開設しました。「光ケ丘」とは、聖書の中の「闇の中を歩む民は大いなる光を見る」 という由来によるもので、苦しみを通して喜びを見い出すの意味がこめられています。

ということで別にネタにされるような由来ではありませんな。ええ話やんけ。しかしスペルマンて。。別に日本だけの言葉ではないので世界で多かれ少なかれネタにされていたでしょうし、仙台の男子校でも「あした、スペルマン病院行くっぺや」「おめえ、ぬきすぎだがや」(方言めちゃくちゃ)と愉快な会話がなされていたんでしょう。現にコンドーム会社のCMにもスペルマンというキャラクターが出てくるそうですし、スペルテストが得意であったが為に先生から「スペルマン」という称号を与えられたかわいそうな中学生の話もネットに転がっていました。

ついネタにしてしまいましたが、どうでもいいことですよね。

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