田中徳三監督、逝く

tetorapot2007-12-30


12月22日に田中徳三監督が亡くなった。享年87歳。晩年まで様々な映画のイベントに参加された方で私も数回、お話を聞かせてもらったこともあるし、サインも頂いた。今年の湯布院映画祭でお元気な姿を見ているだけにこの度の訃報は寂しい。まあ御年からすれば、大往生と言うべきだろうし、晩年までお元気でおられたことは幸せなことなんだろうけど。

ここ近年、シネ・ヌーヴォが特集上映をやったり、インタビュー本をまとめたり、と再評価が高まっていた。好きな作品はいくつもある。見た作品は「お嬢吉三」(1959年)、「疵千両」(1960年)、「濡れ髪牡丹」(1961年)、「鯉名の銀平」(1961年)、「悪名」(1961年)、「続悪名」(1961年)、「第三の悪名」(1963年)、「新・座頭市物語」(1963年)、「眠狂四郎殺法帖」(1963年)、「続・兵隊やくざ」(1965年)、「新・兵隊やくざ」(1965年)、「悪名桜」(1966年)、「大殺陣・雄呂血」(1966年)、「兵隊やくざ大脱走」(1966年)、「怪談雪女郎」(1968年)、「兵隊やくざ・強奪」(1968年)。このうちのほとんどをスクリーンで見ている。すごいやろ。一番好きなのは何かと言うと。。悩むとこである。やっぱり「悪名」と「続悪名」かな。。でも「鯉名の銀平」もいいし、「疵千両」、「兵隊やくざ」シリーズも忘れがたいのよ。。「兵隊やくざ・強奪」の夏八木勲との対決をシルエットで見せる演出。あれはしびれた。「大殺陣・雄呂血」のラストの殺陣もすごかった。「悪名桜」の藤岡琢也も最高であった。。いやいや何と言っても「悪名」「続悪名」は。。。と実にキリがないので、今日は私的な田中監督の思い出話で追悼とさせていただきたい。かなり長文になる予定。

私が田中監督を見たのもシネ・ヌーヴォであった。2003年の師走。勝新太郎映画祭での「悪名」上映後に現れたのが田中徳三監督であった。上映前に景山支配人の前説があった。本日は田中監督が来館されており、上映後にトークショーがある旨の説明があったが、当時の私は増村保造三隅研次は知っていたがもう一つピンと来ずにあんまり感激がなかった。景山さんが「悪名を撮った監督と一緒に悪名が見れるんすよ。。すごいことですよね」と感極まったように前説を終えたのを覚えている。その気持ちを共感するのは、「悪名」を見ればよいことで、見終わった私の心に田中徳三の名前がばっしり刻まれた。

「悪名」の裏話は田中監督がいろんなところでされてるのでご存知の方が多いと思われるが、田中監督の思い出話として書く。「悪名」が撮られたのは1961年。ご存知、この作品で勝新太郎はブレイクを果たし、大映はカツライス時代に突入する。この前年、勝新太郎はやりたい放題の悪役を演じ、好評を博した「不知火検校」を契機に従来の白塗り二枚目路線を脱却。豪放磊落なアウトローな役柄を模索していた。これなら、勝新に合うんじゃないか、と持ってこられたのが今東光の「悪名」。実はこの小説は週刊朝日で連載されていたそうだが、その時の編集長だったのが田中監督の兄さんで後に田中監督は今から「これを書かせたのはお前の兄貴でお前が監督するのは因縁やな」と言われたそうな。

「悪名」でもう一人ブレイクを果たした俳優がいる。田宮二郎だ。田中監督はモートルの貞に田宮の起用を提案。山崎豊子の「女の勲章」でやや評価を得たとは言え、当時はまだまだ駆け出しの俳優。その彼が準主役にキャスティングされたのだから、よい話であるのになかなか連絡を寄越さない。やっとついたと思ったら、「実は俳優を辞めようかと考えております。」本人は英語も流暢にできたし、ビジネスの世界にも興味を持っており(これが後に彼の命取りになったのだが。。)、俳優を辞めようと考えていたのだ。直接、断るのが礼儀だと思いましてと京都にやってきた田宮を田中監督は一晩かけて口説いた。「この作品だけ出たらどうや。それから引退しても遅くないやないか」と説得した。以降の活躍は書く必要も無いが、田中監督の説得がなかったら後の「白い巨塔」も「黒」シリーズも「犬」シリーズも「高原へいらっしゃい」もなかったのだ。田宮にとっても「悪名」シリーズはヒット作品となり、1968年に大映からパージされるまで出続けた。田宮にとって、モートルの貞(3作以降は清次)はハマリ役で気に入ってたようで、後に勝新が勝プロで「悪名」をリメイクをした(1974年「悪名 縄張荒らし」増村保造監督作品。あまり面白くありません)時に自分を使わなかった(北大路欣也がやった)ことで勝を恨んでいたらしい。当時の田宮は既にスターとなっており、「今のお前が貞をやらんでもええ」と勝は考えたらしいが田宮にとっては貞は俺の役だという自負があったのだろう。

どんどん話が長くなりますが。。「悪名」で田中監督が描きたかったもの。それはヤクザの否定。朝吉は豪放磊落で品行方正とは言いがたいが、強気を挫き、弱きを助ける義侠の兄さん。でもヤクザからは一歩も二歩も引いており、徒党を組まないし、何よりヤクザの美学である任侠精神を否定している。それに対して貞(清次)はチンピラ出身でまだ任侠精神に憧れているが同時に徒党を組まずに言いたいことをいい、自分が正しいと思うことを自由にやる朝吉に憧れている。そうしたテーマは「続悪名」に現れている。田中監督によると当時の大映にはシリーズものという発想がなく、「悪名」も一作で完結するように撮った。しかし、「悪名」は大人気を博し、勝も田宮も大ブレイクを果たした。それまで勝のシャシンというのは全く人気がなく、館主から大映に対し、「勝が主演の映画はもう作るな」と苦情が寄せられるほどであったが、すぐに続編をということになった。大映としてもせっかく勝の映画がヒットしたのだから、その人気を持続させたい。それには続編がいいだろうと考えていたのだろう。

しかし原作のいいところは一作目でほとんど使ってしまったので、脚本の依田義賢溝口健二のほとんどの作品を書いたベテラン。犬塚稔、八尋不二と並んで大映を代表するホン屋であった)と相談の上、オリジナルで行こうと決めた。朝吉と貞がヤクザと対決するが、結局はつぶされてしまう。貞をラストで殺すのは構想の段階で定まっていたそうな。貞がチンピラで刺されて死んでしまうカットが素晴らしかった。雨が降る中、女と傘をさして歩いている貞にチンピラがぶつかる。次の瞬間にバタリと倒れる貞。宮川一夫のカメラはそれを俯瞰で描く。当初は雑踏の中で殺す予定だったが、撮影が長引いてロケができなくなり、撮影所の中で撮影した。アフリと俯瞰だけで撮影したのはそうしないと撮影所の建物が写り込んでしまうからで監督自身も「瓢箪から駒」と語る偶然から生まれた名カットであった。派手な立ち回りもなく、アップもなく、あっさりとゴミのように貞は殺されてしまう。そして残った朝吉にも召集令状が届き、中国戦線に旅立っていく。田中監督は朝吉が戦死するイメージで描いていた。見事なラストである。

しかし「悪名」は以降も続いた。朝吉は中国戦線から命からがら帰ってきて、死んだ貞は瓜二つの弟清次として復活。前作で嫁にした中村玉緒(実際に二人はこの頃に婚約)は夫が死んだと思い、人の嫁になっていたので、朝吉は清次と組んでまたもや八尾を出てしまうのだ。田中監督もシリーズのうち何作かを監督しているが、全く別の作品と考えていたらしい。

以降、大映は人気シリーズをプログラムピクチャーとして数人の監督が撮るシステムを導入。勝新の「悪名」「座頭市」「兵隊やくざ」シリーズ、雷蔵の「眠狂四郎」「陸軍中野学校」「忍びの者」「若親分」シリーズが誕生した。田中監督もこうしたシリーズ作品で傑作を撮った。大映は監督よりも俳優を大切にした会社なので、まず俳優ありきで映画が企画された。自分で企画を立てて、好きな俳優で作品を撮れたのは市川崑山本薩夫ぐらいだったらしい。市川崑は若い頃からフリーで大映のプロデューサーだった藤井浩明と仲がよかった。また売込みがうまかったらしい。山本薩夫日本共産党文化部に所属しており、共産党の文化活動の一環として党員を動員できる強みがあった。大映での一作目「忍びの者」は赤旗で連載された小説の映画化でプロデューサーから全部代々木系の人だったらしい。山本監督の姉も確かプロデューサーで後に新生大映が発足した時も名前を連ねていたと思う。彼ら二人を別格にして、大映の生え抜きだった、増村保造三隅研次森一生田中徳三池広一夫、井上梅治、井上昭、安田公義はプログラムピクチャーで傑作を次々と発表し続けた。

再び、田中監督を拝見したのは、2006年のシネ・ヌーヴォで上映した「RESPECT田中徳三」最終日だった。この時はいろいろとバタバタしており、行けたのはこの一日だけだった。「兵隊やくざ 大脱走」を見ている最中に後ろからぼそぼそと声が聞こえる。誰かと思って、ちらりと振り返る。そこには奥様と二人連れの田中監督が。

最終上映となった「大殺陣 雄呂血」の前に監督の挨拶があったのだが、その際に奥様からも一言挨拶があった。奥様が泣きながら、「こんな上映をやっていただけることになって。。主人は平気な顔をしておりますが、内心はとっても喜んでおるんです。年を取ってから大きな病気をしまして。。本当によかった」と挨拶をされており、こちらの目頭も熱くなった。上映後、監督にサインをいただき、握手をしてもらった。監督の作品で一番好きなのは「鯉名の銀平」です、と言ったところ、、あなたのような若い人に見てもらえるのは嬉しい、と言葉をかけてもらえた。

最後は今年の湯布院映画祭である。今年の湯布院は大映京都撮影所の特集であった。2002年以来、湯布院映画祭に足を運んだ大きな理由の一つが、大映の特集だったからで田中監督の「疵千両」が見たかったのだ。「疵千両」は前々回の京都映画祭でも上映があったのだが、他の映画と重なっており、見ることができなかった。ビデオが出てるかどうか知らないが、これはやはりフィルムで見たかった。そしてこれはフィルムで見るべき作品であった。近代の封建制度から湧き出る様々な悲劇に加え、監督が言う「人間の持つ宿命的な恋しさ」を体現する長谷川一夫の素晴らしさはフィルムで味わわねばならない。一昔前、男前の代名詞と言えば長谷川一夫であった。本人もその自負はたっぷり持っており、映画でも決して二枚目の演技を崩さなかった。しかし本作での長谷川は男の義理から友人と決闘せねばならない、そして身分の違いから諦めた召使のすがへの恋慕を棄てきれない、そして決闘で倒した友人の弟がすがの現在の夫であり、その弟が自分を仇としてねらっている、という様々な宿命に苦しむ男を大仰でもドラマ的に演じることなく、封建時代という時代に翻弄された一人の侍として演じていた。「私もひとつぐらい、世に問う作品を残しておきたい」と語った長谷川は本作が5作目となる田中監督に全てを託したのだ。それもまたドラマである。

湯布院映画祭に参加した方のレポでも多く語られているのだが、「怪談雪女郎」の上映後に行われた藤村志保さんとのトークショーでの質問の時間でちょっとしたハプニングが起きた。田中監督と藤村さんによる市川雷蔵の思い出で場がしんみりとしていた雰囲気ががらりと変わったのは奈良のテレビ局の男による質問であった。もう時間がおしてるのに何個も質問する神経がまずどうかしてるんだが、喋り方が実に高圧的。これにまず会場全体がイラっときた。要は自分の放送局(局長?)では深夜に昔の邦画をノーカットで放送している。そのことについて監督はどうお考えか?ってなことだった。まあ、おそらくだな。「そうですか。それはありがとうございます」ってな返事を期待してたんだろうが、監督の答えは全く違った。

映画はやはり映画館で見て欲しいと思うし、自分は映画館で上映されることを前提に作っている。テレビだとつまらなかったら、すぐにチャンネルを変えられてしまう。家にいながらにして気軽に見られてしまう。そうしたむなしさから解放されることはない」(はっきりと覚えてないがこういうニュアンスであった)他に質問があったので続けて答えようとする監督の言葉を遮って奈良の男が叫ぶ。「監督がテレビをどうとも思っておられないことがよくわかりました!でもね、この深夜放送は割りと視聴率を取っているんですよ!これは聞いてもらいたい!」言いたいことはわかる。でもテレビマン特有の意識してるか、してないかは別にして「テレビで扱ってやってる」感がぷんぷんとすげえ嫌な雰囲気であった。常連の爺さんがブチ切れて「監督はそんなこと言ってんじゃないんだよ!」と怒鳴りつけた。

彼は彼なりに映画を愛しており、様々なものと戦いながらも深夜放送でノーカットで映画を流している。そのことを知ってもらいたかったのだろう。それが全く裏切られたので混乱したのだろうと思う。まあテレビマンはこんな人多いですけどね。自分が世の中仕切ってるぐらいに思わないとやってられんのかもしれん。田中監督自身も語っていたが、大映倒産後の田中監督が主に手がけたのはテレビでの時代劇。必殺や座頭市剣客商売シリーズなど様々。。

友人はこの1件をどっちもどっちでテレビ全盛の時代にテレビが映画を一切扱わなくなったら映画は滅ぶ、テレビを見下げても仕方がないだろうと書いていたが監督の言いたかったことは全く違う。確かに映画人にはテレビを見下した人が多い。しかし田中監督は大映倒産後、天理教の映画を1本撮ったのみでテレビの時代劇をホームグラウンドとして作品を発表し続けてた。多くの大映出身の映画人がそうであったように、後世はテレビの人でもあったのだ。そのような人がテレビを見下すであろうか

監督の言いたかったことは、本来映画は映画館で見るものである、という当たり前のことだったのだ。重政隆文が繰り返し言っていることだが、映画は映画館で見るもので映像効果、キャスティング、音響、美術、その全てを作り手は映画館で見るように作っている。DVDで見てもそれは「見たような気持ち」になるだけなのである。

反感を買うことを承知であえて言う。我々映画ファンはもう少し映画館で映画を見ることに熱心にならなければならない。そして映画会社はそうした環境を整えるために努力を惜しんではならない。現在の風潮は残念ながら逆である。街の中からは次々と映画館は消え、同じ映画を流すだけの金太郎飴型シネコンができるだけである。独自のプログラムを組もうとする映画館は少数派となり、見る場は少なくなっている。意欲的に旧作の上映を行っていた高槻松竹セントラルも今は活動を停止し、シネコンの付属物に成り下がって、いや竹中労的な言い方では上に向かって、堕落している。旧作をスクリーンで見るのはますます難しくなっている。

何しろ、田中監督の作品を持っている角川映画自体がそうした方針でDVDの売り上げをよくするために、有名作品の配給をやめてしまっているそうではないか。監督があえてあの場でああした発言をしたのは、そうした状況に対する反抗であったのだろう。それは今にして思う。そして、それは監督の遺言として私は受け止めたいと思う

それからテレビが扱わなかったら映画が滅ぶなんて意見には首肯しかねる。現にこの湯布院映画祭自体がテレビでの扱いなどないのに、これだけの観客を集めているではないか。テレビと対立する必要はないが、テレビが全てみたいに思うのは映画ファンに対する愚弄であろう。テレビで全く扱いがなかったのにヒットした作品、そんな作品を私はいくつも知っているし、口コミから客を集めて天満天神繁昌亭を連日、大入り満員にしている上方落語の例もあるのだ。そうナメてもらっちゃ困る。

今年の夏には、河内家菊水丸の撮った短編(例のYOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 の一本)で河内家菊水丸の少年期の実話を劇中劇を演出。11月に大阪市で行われた完成披露上映会に出席したのが、公に姿を現した最後の姿となった。何よりも現場を愛した撮影所育ちのカツドウ屋としては感無量であっただろう。そうした場を与えてくれた菊水丸も偉いと思う。内藤昭に引き続き、また一人大映育ちの映画人が世を去った。合掌。


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