横山ノック、死去

 横山ノックが亡くなった。享年75歳。最後までテレビへの復帰を夢見たが適わず、無念の死であった。例の事件がなければ、こんなに寂しい老後はなかっただろう。今の知事を見ておればわかるが、大阪府知事なんて共産党がならなければ誰がやっても同じなんである。府下に政令指定都市を抱える府県は警察でしか出番がなく、補助金を盾に大きな顔もできない。

 特に大阪府庁の財政破綻は深刻であり、府庁舎の建て直しすらできない状態である。歴史的建造物と言えば聞こえはいいが、地震大国日本に築80年(1926年竣工)の府庁舎は危機管理の面から見れば、「物持ちがよろしおまんねん」などと言ってる場合じゃなくて、早急に手を打たねばならない問題なのだが、議会運営すらまともにこなせない太田房江には不可能である。ヘビに縄跳びさせるより、難しい。ちなみにバブルの頃、建て直しの計画があったそうだが、その時の設計予定者が黒川紀章であったらしい。

 横山ノックが政治的にどうだったか、これは識者、行政関係者による評価、何より後世の評価を待たねばならんのだが、APECの成功があって取り立てて失政はなかったし、(裏金の発覚があったが、後の岐阜県に比べると可愛いもんであった。それもサービス残業していた府職員のケアに使われていたのだから、必要悪であろう。)議会運営もうまく行っていた。何より、今の府知事と違って府の職員には慕われていた。自分が行政の素人であることを自覚し、任せるところは任せ、根回しが必要なところは自分で行った。これはなかなか感心なことである。部下をうまく使いこなせないようでは、知事であるより前に組織のリーダーとして失敗である。ただ、言い換えれば、府官僚の言いなりではあったのだが。

 セクハラの時には多くの大阪人は「共産党のでっち上げ」だと思った。当時、吉本の常務だった木村政雄がテレビで「これは共産党の陰謀です。その女子大生は共産党のスパイですよ」と発言していたことを思い出す。しかし。。様々な紆余曲折を経てセクハラは事実であったことを本人が認めた。高橋秀実の「からくり民主主義」によると女子大生の供述はコロコロ変わっており、おかしな点がいくつもあるのだが、ノックはそれを全て認めた。女子大生についた80数人の弁護士のほとんどは代々木系だったのだが、女子大生は共産党とは何の関わりもなかったらしく、後に弁護士から賠償金を党本部に寄付するように命令されたことや、大阪の共産党系候補の応援演説をすることを強要されたことを暴露して、手を切っている。何とも不思議な事件であった。

 なお、大阪以外の地域では横山ノックキワモノ知事であり、例の事件以降は「あんなエロダコを選ぶ大阪人はやっぱりアホだ」と「いつまでも弱い阪神タイガースを応援するアホな大阪人」と並んで大阪人アホ説の有力な証拠になって、大阪人でない私もなぜか旅先で「ノックなんかによく投票しますね」とか言われたこともあった。いや、投票したくてもできなかったんだけどね。

 ノックがなぜ大阪府知事になれたか、と言うとその前府知事の中川和雄による闇献金が発覚したばかりでオール与党体制の候補に大阪府民が嫌気を指したからである。伝統的に代々木系が強い関西では対共産党で結束し、相乗りで候補を出す習慣が今でもある。まかり間違って共産党の市長など誕生したら、国からの補助金は全て打ち切られ、座して死を待つだけである。

 「共産党も現体制も厭」と思った府民がそれだけ多かったということで、どっちでもなかったノックに票が集まった。ただ、それにノックが応えたかどうかは疑問符である。第三セクターの処理、裏金問題と負の遺産の精算に明け暮れた一期目だったので、本当にやりたいことは二期目以降だったのだろう。だとすれば、自業自得とは言え、少し気の毒ではあった。

 話半分に聞いて欲しいが、ノックの女好きはつとに有名で楽屋で女芸人の太ももを触るとか乳を揉むなどは日常茶飯時でつい、選挙カーでもそれをやってしまったのだ、というのが芸人仲間のお話。府知事になる少し前に芸人同士で麻雀をしてたそうだが、真顔で「わしの大福、食うたんは誰じゃ!」とノックが怒り出したが、その場にいた芸人はあ然となった。なぜなら、ノックの口は粉まみれで少し前に大福を頬張るノックを見ていたからだ。マジに怒るノック。。「アルツハイマーや。。」と月亭八方はつぶやいたそうだ。加齢によるものか、病気なのか、それとも天然なのか、ノックにはこの手のエピソードが多い。その隙だらけな人柄が愛された。よくツッコまれた。だからこそ後輩芸人には慕われ、横山やすしもノックだけは無条件に尊敬していた。立川談志も好いていた。

 物心をついたときにノックは既に参議院議員であったノック先生であった。ただ、私にとっては「ノックは無用」のオッサンであった。府知事になってからはバラエティへの出番は少なくなり、探偵ナイトスクープの顧問ぐらいであろうか。漫画トリオ時代の映像はほとんど見たことないし、芸人としてのノックを語ることはできない。晩年、全てを失ったノックは芸人に戻り、晩年までもがき続けた。そのエピソードだけでもノックの芸人への思いを知ることができる。

 竹中労曰く、「全ての芸能活動は反体制である」。ノックが政治家になった60年代後半、政治と芸能活動は地続きであり、言い切ってしまうと政治はそれだけ身近だったのだ。タレント議員はそうした時代の流れを受けたものであったと思う。そして使い棄てられた。晩年、不遇ではあったが、芸人として人生を終えたことは本懐であったかもしれない。上岡龍太郎のコメントが聞きたい。合掌。


女子大生セクハラ事件の深層―横山ノックがやったこと

女子大生セクハラ事件の深層―横山ノックがやったこと

ノックへの愛の手紙

ノックへの愛の手紙

拝啓 横山ノック大阪府知事殿

拝啓 横山ノック大阪府知事殿

からくり民主主義

からくり民主主義

・・・ノックは革新自由連合で出馬したことがある。小説という形は取っているがほぼ実話。ノックも出てくる。

<追記>
ブログやmixiでノックについてふれたいくつかの文章読みましたが、皆さんひどいこと言い過ぎ。権力者のセクハラは確かに許すべきではないが、執行猶予とは言え、刑には服し、充分なほど社会的制裁を食らったことを考えるとそこまで言われなあかんのか?というかノックの名を借りた、大阪人が嫌いな人がやっている人たちがやってることなんでしょうけど。知的障害の子を輪姦してビルから突き落とす小説を書くような人を知事に比べりゃ、ノックの方がなんぼかマシ。。いや、泥沼になるので、やめましょう。上岡龍太郎はコメントなし(問い合わせ先が米朝事務所なんですな)でお通夜のみ。ノックさんはいい人でした、みたいなコメントさせられるのが厭だったのと単純に面倒くさいからでしょう。