深浦加奈子、死去

tetorapot2008-08-27


 深浦加奈子が亡くなった。享年48歳。命を奪ったのは、癌であった。5年前に癌が見つかり、それからの5年間は闘病しながらの役者生活。晩年には癌が肺に転移していたという。最後の仕事が原爆のドキュメンタリーのナレーションで無理をおしての出演であったというエピソードが泣かせる。

 数々のドラマに出ている女優さんだが、私が印象に残っている役柄は「私の青空」での利根川千代子役である。故郷で結婚し、平穏に暮らそうとしている男を結婚式場から強引に連れ去り、くすぶっていたボクサーの夢をかなえさせるために共に渡米。逃げられた男を追ってきた婚約者のなずな、彼女のおなかには彼の子供がいたのだが、彼が必ず帰ってきてくれることを信じ、母親になっていた、の非難を背中に受けながら、健人にチャンピオンを取らせるためにひたすら尽くす女を演じた。

 所謂、物語の発端を作った人で、悪役になるのだが、内館牧子はそう描かず、好きな男の夢をかなえさせるために尽くす、かわいらしい女として描いた。健人は千代子を愛しておらず、引きずられるように見せて利用しているだけなのである。そうしたことも充分にわかっている、そうした可愛くも哀しい女を演じて見せた。何か切羽詰まった顔つきで少し涙目で高い声で叫ぶ演技が印象に残っている。

 ドラマでは他に「秀吉」「風子のラーメン」が印象に残っている。「秀吉」では秀吉の姉さんをやったんだよな。映画では「バトル・ロワイアル」でのバスガイド役や「たそがれ清兵衛」での義姉役を覚えている。

 笑顔も素敵であったが、泣きのうまい女優さんであった。少し意地悪な女性を演じることが多かったように思うが、ラストでどっと崩れてからの泣きがうまかった。わあわあ泣くのではなく、しゃくりあげながら、涙をこらえきれずに泣くような、泣きであった。

 お年を召した映画人や役者がなくなるのも悲しいが、替えの聞かない役者が若くして亡くなるのはもっと悲しい。この年代でのうまい女優は少ないので、さびしく感じる。遺作となったのは「ぼくのおばあちゃん」。共演は「私の青空」にも出てた菅井きん。ぎりぎりまで命を燃やし続けた女優を味わおう。合掌。

私の青空・総集編 上・下(2枚組)BOX [DVD]

私の青空・総集編 上・下(2枚組)BOX [DVD]

私の青空2002 DVD-BOX(4枚組)

私の青空2002 DVD-BOX(4枚組)

たそがれ清兵衛 [DVD]

たそがれ清兵衛 [DVD]

靖国 YASUKUNI

靖国


 昔、東京に暮していた時期に靖国神社に数回行ったことがある。思想的にどうこう思って行ったわけではないが、なんか東京のド真ん中にあれだけ広々とした神社があるということとジョン・ウーの映画に出てくるような白い鳩がとても珍しく思えたからで4,5回は行ってたと思う。

 初めて行った時には靖国神社内の資料館に行った。展示はその名も「近代日本、かく戦えり」。いわゆる、近代の日本の戦争を扱った展示であった。私はどっちかというと保守的な人間ではっきり言うと中国も韓国も大嫌いだし、(中国人、韓国人とは言わないよ)共産党横路孝弘加藤紘一朝日新聞毎日新聞もついでに山崎拓も吐き気がするほど嫌いだが、この展示には違和感たっぷりであった。そこにあるのは、日本軍が如何に強かったか、それのみであり、戦争によりこれだけの戦死者が出たとか、侵略したアジア人への配慮もひとかけらもなく、太平洋戦争の展示も敗戦国のものではなかった。案内してる神社の人も勝ってる頃の話しかしないし、アジア解放の大義とか特攻隊が素晴らしいとか、自衛戦争だったとか書いてない。そこが「靖国神社に参拝するなら、勉強しなさい!学校では教えてくれないよ」と劇中の老人が大絶賛する「遊就館」であった。確かにこんなことは学校では教えんわ。

 正直、あんまり面白い作品ではなかった反日と言えば、反日なんだろうけど、監督が在日中国人だったら、これぐらいの描写はするでしょう。題材は面白いと思うんだけどね。戦前、靖国神社靖国刀という軍刀を作っていた。刀匠の刈谷直治氏は数少ない、当時を知る人物。90歳という高齢ながら、現役の刀匠で自作の刀に「靖国」と名づけ(本人曰く「無許可」)、靖国神社に奉納している。この人物へのインタビューと8月15日の靖国神社の模様が主な構成。

 面白いドキュメンタリーを取る秘訣というのは、その題材を体現するような人物を被写体にすることだと思う。本作、それには成功してるのだが、懐に入るまでは至っていない。被写体にするのに成功したのは、刈谷さんが単にいい人だったからであり、説き伏せたからではない。刈谷さんが終始、和やかなのは監督をお客さん扱いしてからであり、監督の質問に対して無言なのも遠慮しているからだろう。人の気持ちを知る時には、まず自分の意見を述べて、それに対して意見を求める。会話ってもんはそういうもんだろう。

 劇中で刈谷さんが小泉首相(当時)の靖国参拝に対してどう思うか?と監督に聞くシーンがあるが、監督はそれに答えずに「刈谷さんはどうですか?」と逆に返している。「質問に質問で返すな!」と空手で頭の上半分を吹き飛ばしたくなるが、これがこの映画の欠点でこの映画、メッセージ性が皆無でプロパガンダ映画にもなっとらんのだ。ドキュメンタリーは中立の立場から物事を映し出すだけで、観客が何を受け取るかは観客にゆだねる、かつて今村昌平が「ドキュメンタリーは中立ではないし、そうある必要もない」と「人間蒸発」で喝破した、古臭い原則論に監督は縛られとんのちゃうやろか、と疑いたくなる。それから、ついでに書いておくが、撮影は監督と堀田泰寛というJSCのカメラマンが担当しているが、インタビュー時の撮影がひどい。画像が粗いのは許すが、顔の半分が切れてたり、突然アップになったり、と見ておれんかった。たぶん、このシーンは監督だと思うが、なんとかならんかったのか?

 靖国問題の一番の問題点は靖国神社の性格であろう。この作品が映し出す8月15日の靖国神社は、小泉の言う、国家のために亡くなった方の追悼をする施設とはかけ離れたものである。日本軍の軍服に身を包み、天皇万歳を叫ぶ強面のヤクザ、境内のあちこちに立つ、八紘一宇、鬼畜米英と書かれた幟、小泉の靖国参拝を支持する米国人に「毛唐は出て行け!」と怒鳴るヤクザ。。そして遊就館の展示。坊さんが言うように靖国神社神社本庁支配下にもない、単立宗教法人であるので、どこの監督下でもない。しかし、その存在は政治と直結する機関であり、今の靖国神社の形に政治が全く無関係ってなわけがないのだ。公開間近になって、政治的圧力がかかったのはそういうこと。

 靖国の映像で一番すごかったのは、靖国参拝反対を叫んだ青年に対する仕打ちであろう。屈強なおっとろしげな兄ちゃんがとびかかって、そのまま木立の中でヘッドロック、というよりチョーク・スリーパー!ほっといたら、死んでたぞ!その後、数人で追い出しにかかる。「なんだ、てめえら!中国人か!中国人は中国に帰れ!」と30回ぐらい繰り返し、怒鳴りまくるおっさん。カメラはそれをずっと後ろから追いかける。そのおっさんも後ろから追いかけてるカメラが在日中国人の映画だとは知らんかったろう。警察が急いで駆けつけて、若者を連れ出そうとするが、言うことをきかない。遂にキレたヤーさんが鼻っ柱をビビビ!(水木しげる風)鼻血が出ても、高い声で叫び続ける兄ちゃん。。すまんが、大いに笑わせてもらった。この兄ちゃん、今は左翼に燃えているが、こいつもひょっとしたら今は国粋少年になってるかもな。

 しかし靖国とは不思議なところである。そういったおとろしいおじさんがいる反面、普通に戦争で親族を亡くしたお母さんたちが雑談してたり、デートスポットなのかカップルが来てたりする。骨董市が立つこともあるしね。すべてを飲み込んでそこに存在する。日本国内のみならず、世界からその動きが注目されるすごい神社だ。少なくとも、影響力では福田総理よりも上だ。

 最後に上映を巡るドタバタについて。結果的に映画の宣伝となってしまったが、どう理由つけてもあれは検閲であろう。中国の資本に文化庁補助金が入るのはどうかとは思わんでもないが、内容により補助にふさわしいかどうか決定するて。無邪気な正義感が戦争への道だってな、スポンサーへの配慮かなんか知らんが、君は国民の政治家なんやで。権力者にすり寄るのがお得意みたいですが、あんたのツラじゃ無理だ、ねえ稲田センセ

靖国 YASUKUNI [DVD]

靖国 YASUKUNI [DVD]

マイクロエース 1/72 大戦機 No.2 靖国

マイクロエース 1/72 大戦機 No.2 靖国

映画「靖国」上映中止をめぐる大議論 (TSUKURU BOOKS)

映画「靖国」上映中止をめぐる大議論 (TSUKURU BOOKS)

靖国 (新潮文庫)

靖国 (新潮文庫)

太鼓持あらいのユーモア話術―「賢いバカ」の極上の知恵

太鼓持あらいのユーモア話術―「賢いバカ」の極上の知恵

皆様、あけましておめでとうございます。

tetorapot2008-01-01


皆様、あけましておめでとうございます

寒風吹きすさぶ中、年が明けました。旧年中はいろいろとお世話になりました。って何をお世話になっているのかはわかりませんが、とりあえず書いておきます。昨年は私にとって、なかなかよい年でこれも一重に私のミクロな努力に加え、皆様のおかげと言いたいところですが、やっぱり私の不惜身命を誓った、薄氷を踏むような絶妙なバランスを心がけた、不断の努力によるものが大きかったように思います。いやいや。。やはり皆様のおかげ。。と声を振り絞って申しましょう。とにかく、ありがとうございました。2008年という年は皆様にとってどのような年になるのでしょうか。このブログを見ていただいている方だけの御多幸をお祈りするとともに、私の幸福もつとに祈りたいと思います。

今年もですね、当ブログのやることはあいも変わりません。今年もまた日本映画や関西の映画館とかの記事とか黒井和男とか戸田奈津子(映画の字幕ではとんと名前を見なくなりましたが)やみのもんたとか渡辺祥子の悪口とか、それから今年は、舞台や文楽、落語会の感想を重点的に書いていこうと思います。最近、浪曲などを少し聴きさらしたりしてますので、その感想など。。週1回ペースでの更新を。。え?できんことを言うな、ですか?ごもっともでございます。

今年は遂に恐れていた三十路を年内に迎えるということで、ソクーロフの映画のような重苦しい雰囲気がブログに漂うように思いますが、30歳を迎える覚悟を5年くらいかけて一つ一つ積み上げておりましたので、内心は安らか。。嘘です、大嘘。厭だ。。。なんか俺、悪いことしたか?三十路突入なんて、理不尽だ!貴様!神仏の罰が怖くないのか!三十路か。。三十路になってもいいことある?ないよな、あるわけない!三十路と還暦って読み仮名一緒じゃんよ!おかしい!世の中、間違ってる!なんかの法律にきっと違反してるはずや!国の奴らよ!納税者が理不尽な目になってるぞ!高い税金取ってるんだから何とかしろよ!この世に神はいないのか!!!答えろ、坊主ども!!そうか。。この世に神がいないなら。。私が神になればいいのだ!万民よ!我を尊ぶべし!!ぶくぶく、、(混乱中)えーそろそろ、本当に頭がおかしいと思われてしまいそうなんで、、このへんにしておきますが。本当にどうしたら。。いいのか。。うおおんと泣きたい気分です

今年は多分、割と平穏と言いますか、変化に乏しい一年になりそうです。まず仕事はおそらく、異動はないやろし、おそらく担当換えもなし。仕事で抱える課題は腐るほどありますが、ある程度の筋道も引いてるし。。私生活も家の建替えが終わりましたしね。結婚とか独立とかの話はこの年齢になると常について回りますが、これもどうなることやら。。。ってなことで、今年のモットーは「行け行け、山芋のように」。これは深作欣二が自身の映画作りを「捩れながら作っていく山芋です」と語ったことから、山根貞男先生が「映画監督 深作欣二の軌跡」でつけた表題が元ネタ。山芋は捩れながら慎重に掘っていく。今年の目標は、山芋を掘るように、急ぐことなく慎重に捩れながらもリズムよく進んでいきたいな、と。

毎年立てている映画の鑑賞本数の目標ですが、今年は100本とします。なんか毎年目標本数を下回る結果が続いてますが、(2006年200本→184本 2007年150本→121本)100本を下回ることはないでしょう。それから落語会通いを年50 歌舞伎、舞台、文楽鑑賞を月イチペースで12回が目標。天満天神繁昌亭通いも板についてきましたし、12月に久しぶりに落語勉強会に行って、かなり楽しかったので落語会通いは増えそうな感じです。え?ついでに更新回数も目標立ててはどうか、ですか?

えー今年もよろしくお願い致しますです!

映画監督 深作欣二

映画監督 深作欣二

今年一番笑った言葉は「むき餅 むき餡」

tetorapot2007-12-31


今日で今年もおしまい。秋口から一ヶ月が過ぎるのが早くなり、今年も気がつけば師走って感じで、そしてもう今日でおしまい。年々、月日がたつのが早くなっていくような。。子供時代、楽しい時間はすぐに過ぎていくもんでしたが、今の状況もそうなのかもしれません。じゃあそんなに好調なのか、と言われれば、、思わず、頬が緩んでしまう私だったりします

今年の映画鑑賞本数は121本。最後の映画は宗教映画の「マリア」でございました。今年の年末は面白い映画なかったなあ。。昨年の184本に比べると随分減りました。なんでこんなに減ったかと言いますと、高槻松竹セントラルが高槻ロコ9シネマプラスという変な名前になってしまってから日本映画旧作の特集上映をやめてしまったからで、昨年も鑑賞本数の半分ぐらいが旧作でそのほとんどがここで見てたので、その分が減ってしまったということです。昨年ぐらいから新作は年に100本ぐらいしか見てなくて、今年も見てる新作はそれぐらい。

高槻松竹セントラルには早く目を覚ましていただきたいもんです。いくら、そちらがシネコンの一部と計算しておっても、こんな小さな古い映画館で1800円払って新作見たい人がどれだけいるのでしょうか。映画業界の人たちは、自分らが商売やってるという意識をもういい加減に棄てて欲しいです。いつまで、商売人気分なんや、君ら。自分らは文化か福祉のために働いてると思って、映画で金儲けすることは諦めた方がよろしい。だって東宝角川映画みたいによっぽど悪事(業界のリーダーなのに一目散に逃げる。黒澤明を切る。撮影所の土地を売って大儲け。クソまずいフードコーナー。わずかな出資金で自社製作作品のように配給。スタッフのクビ斬りまくり。他人の作った作品をDVD化して大儲け黒井和男が社長やってるなどなど)を働かない限り、儲かりません。金儲けしたい人は割り切って金儲けしたい人は株取引するとかクソ肉から偽装ミートボール作るとか防衛省に入省するとか東宝に入社するとか黒井和男の部下になるとかすればよいでしょう。ふん、そんな奴らは頭を強く打って死んでしまえ。

来年は私もいよいよ三十路に入ります。はあ。。厭やな。。正直、ここ5年ほどこの三十路という言葉が重くのしかかってまして、もう厭で厭で仕方なくて、何とか延期にならんかなとか思ってたんですが、遂に間近に迫ってきやがりましたよ。。友人の何人かが既にこの三十路という暗黒大陸にうっかり足を踏み入れてしまい、そのまま森の奥地に迷い込んでしまい、帰らぬ人になってしまいました。自分は違うとは思いながらも、そういや奴もそう言ってたよなあ。。とふと思い出す。年を取ったからか、最近昔のことがやたらに懐かしくなりまして、中学時代にラジオやテレビ音声で撮りためた落語を引っ張り出して聞いているうちにまた落語会通いが始まったりしてるんですが、この頃が一番よかったなあ、と。好きなことに好きなだけ邁進できたなあ、と。また体力も時間もあった。そして何より貪欲なまでの好奇心もあった。

年をとったなあ、と思うのはこうした好きなことでも時には億劫だなあ。。と感じてしまうことで、今年ブログの更新が滞ったのもそこにあったりするわけです。確かに今年は秋口は仕事が忙しくて、家も遠くなりましたんで、時間的に厳しいところもあったんですが、仕事が暇になって家の建替えが終わって、再び時間ができてもなかなかパソコンに向かわなかった。文章を書くのは好きなんですけどね。同時に映画館に通うのも面倒になってきた。長らく、映画を見てると、どうしても見たい映画にしか足を運ばなくなる。「これ、面白いかな、つまらんかな」と思いながらドキドキしながら映画館に足を運ぶのが億劫になってくる。もっと言うなら、一人でオタクやってるのが厭になってきたというのがあって、今まで自分が大切にしていたこだわりを投げ出したくなったりとかしたわけです。

来年はブログの更新をやります!と高らかに宣言したいところですが、そんなわけでどうなるかわかりません。もしかしたら、ある日すっぱりとやめてしまうかもしれませんし。どちらにしても昔やってたように定期的に映画の感想を書くというスタイルは難しいでしょうね。落語会の記事を書くのも割りと楽しいので、落語と映画が混在したスタイルになるのかなあ、と。映画の感想も書きたいんですけどね。。

とか言いながらも、年始には2007のベストはやりたいです。これも例年1月中旬ぐらいになりますしね。今年は割りと面白い映画が多かったんで、選ぶのにそう苦労はないと思いますが、、、早く更新します!

今年の大晦日はめちゃくちゃ寒いですな。ただでさえ寒い京都はもうなんか冷蔵庫の野菜室に入れられたというか。。なんかトマトか白菜の気分でございます。わあわあ言うております。お時間でございます。皆様、よいお年を。

平成19年12月31日 自宅にて

田中徳三監督、逝く

tetorapot2007-12-30


12月22日に田中徳三監督が亡くなった。享年87歳。晩年まで様々な映画のイベントに参加された方で私も数回、お話を聞かせてもらったこともあるし、サインも頂いた。今年の湯布院映画祭でお元気な姿を見ているだけにこの度の訃報は寂しい。まあ御年からすれば、大往生と言うべきだろうし、晩年までお元気でおられたことは幸せなことなんだろうけど。

ここ近年、シネ・ヌーヴォが特集上映をやったり、インタビュー本をまとめたり、と再評価が高まっていた。好きな作品はいくつもある。見た作品は「お嬢吉三」(1959年)、「疵千両」(1960年)、「濡れ髪牡丹」(1961年)、「鯉名の銀平」(1961年)、「悪名」(1961年)、「続悪名」(1961年)、「第三の悪名」(1963年)、「新・座頭市物語」(1963年)、「眠狂四郎殺法帖」(1963年)、「続・兵隊やくざ」(1965年)、「新・兵隊やくざ」(1965年)、「悪名桜」(1966年)、「大殺陣・雄呂血」(1966年)、「兵隊やくざ大脱走」(1966年)、「怪談雪女郎」(1968年)、「兵隊やくざ・強奪」(1968年)。このうちのほとんどをスクリーンで見ている。すごいやろ。一番好きなのは何かと言うと。。悩むとこである。やっぱり「悪名」と「続悪名」かな。。でも「鯉名の銀平」もいいし、「疵千両」、「兵隊やくざ」シリーズも忘れがたいのよ。。「兵隊やくざ・強奪」の夏八木勲との対決をシルエットで見せる演出。あれはしびれた。「大殺陣・雄呂血」のラストの殺陣もすごかった。「悪名桜」の藤岡琢也も最高であった。。いやいや何と言っても「悪名」「続悪名」は。。。と実にキリがないので、今日は私的な田中監督の思い出話で追悼とさせていただきたい。かなり長文になる予定。

私が田中監督を見たのもシネ・ヌーヴォであった。2003年の師走。勝新太郎映画祭での「悪名」上映後に現れたのが田中徳三監督であった。上映前に景山支配人の前説があった。本日は田中監督が来館されており、上映後にトークショーがある旨の説明があったが、当時の私は増村保造三隅研次は知っていたがもう一つピンと来ずにあんまり感激がなかった。景山さんが「悪名を撮った監督と一緒に悪名が見れるんすよ。。すごいことですよね」と感極まったように前説を終えたのを覚えている。その気持ちを共感するのは、「悪名」を見ればよいことで、見終わった私の心に田中徳三の名前がばっしり刻まれた。

「悪名」の裏話は田中監督がいろんなところでされてるのでご存知の方が多いと思われるが、田中監督の思い出話として書く。「悪名」が撮られたのは1961年。ご存知、この作品で勝新太郎はブレイクを果たし、大映はカツライス時代に突入する。この前年、勝新太郎はやりたい放題の悪役を演じ、好評を博した「不知火検校」を契機に従来の白塗り二枚目路線を脱却。豪放磊落なアウトローな役柄を模索していた。これなら、勝新に合うんじゃないか、と持ってこられたのが今東光の「悪名」。実はこの小説は週刊朝日で連載されていたそうだが、その時の編集長だったのが田中監督の兄さんで後に田中監督は今から「これを書かせたのはお前の兄貴でお前が監督するのは因縁やな」と言われたそうな。

「悪名」でもう一人ブレイクを果たした俳優がいる。田宮二郎だ。田中監督はモートルの貞に田宮の起用を提案。山崎豊子の「女の勲章」でやや評価を得たとは言え、当時はまだまだ駆け出しの俳優。その彼が準主役にキャスティングされたのだから、よい話であるのになかなか連絡を寄越さない。やっとついたと思ったら、「実は俳優を辞めようかと考えております。」本人は英語も流暢にできたし、ビジネスの世界にも興味を持っており(これが後に彼の命取りになったのだが。。)、俳優を辞めようと考えていたのだ。直接、断るのが礼儀だと思いましてと京都にやってきた田宮を田中監督は一晩かけて口説いた。「この作品だけ出たらどうや。それから引退しても遅くないやないか」と説得した。以降の活躍は書く必要も無いが、田中監督の説得がなかったら後の「白い巨塔」も「黒」シリーズも「犬」シリーズも「高原へいらっしゃい」もなかったのだ。田宮にとっても「悪名」シリーズはヒット作品となり、1968年に大映からパージされるまで出続けた。田宮にとって、モートルの貞(3作以降は清次)はハマリ役で気に入ってたようで、後に勝新が勝プロで「悪名」をリメイクをした(1974年「悪名 縄張荒らし」増村保造監督作品。あまり面白くありません)時に自分を使わなかった(北大路欣也がやった)ことで勝を恨んでいたらしい。当時の田宮は既にスターとなっており、「今のお前が貞をやらんでもええ」と勝は考えたらしいが田宮にとっては貞は俺の役だという自負があったのだろう。

どんどん話が長くなりますが。。「悪名」で田中監督が描きたかったもの。それはヤクザの否定。朝吉は豪放磊落で品行方正とは言いがたいが、強気を挫き、弱きを助ける義侠の兄さん。でもヤクザからは一歩も二歩も引いており、徒党を組まないし、何よりヤクザの美学である任侠精神を否定している。それに対して貞(清次)はチンピラ出身でまだ任侠精神に憧れているが同時に徒党を組まずに言いたいことをいい、自分が正しいと思うことを自由にやる朝吉に憧れている。そうしたテーマは「続悪名」に現れている。田中監督によると当時の大映にはシリーズものという発想がなく、「悪名」も一作で完結するように撮った。しかし、「悪名」は大人気を博し、勝も田宮も大ブレイクを果たした。それまで勝のシャシンというのは全く人気がなく、館主から大映に対し、「勝が主演の映画はもう作るな」と苦情が寄せられるほどであったが、すぐに続編をということになった。大映としてもせっかく勝の映画がヒットしたのだから、その人気を持続させたい。それには続編がいいだろうと考えていたのだろう。

しかし原作のいいところは一作目でほとんど使ってしまったので、脚本の依田義賢溝口健二のほとんどの作品を書いたベテラン。犬塚稔、八尋不二と並んで大映を代表するホン屋であった)と相談の上、オリジナルで行こうと決めた。朝吉と貞がヤクザと対決するが、結局はつぶされてしまう。貞をラストで殺すのは構想の段階で定まっていたそうな。貞がチンピラで刺されて死んでしまうカットが素晴らしかった。雨が降る中、女と傘をさして歩いている貞にチンピラがぶつかる。次の瞬間にバタリと倒れる貞。宮川一夫のカメラはそれを俯瞰で描く。当初は雑踏の中で殺す予定だったが、撮影が長引いてロケができなくなり、撮影所の中で撮影した。アフリと俯瞰だけで撮影したのはそうしないと撮影所の建物が写り込んでしまうからで監督自身も「瓢箪から駒」と語る偶然から生まれた名カットであった。派手な立ち回りもなく、アップもなく、あっさりとゴミのように貞は殺されてしまう。そして残った朝吉にも召集令状が届き、中国戦線に旅立っていく。田中監督は朝吉が戦死するイメージで描いていた。見事なラストである。

しかし「悪名」は以降も続いた。朝吉は中国戦線から命からがら帰ってきて、死んだ貞は瓜二つの弟清次として復活。前作で嫁にした中村玉緒(実際に二人はこの頃に婚約)は夫が死んだと思い、人の嫁になっていたので、朝吉は清次と組んでまたもや八尾を出てしまうのだ。田中監督もシリーズのうち何作かを監督しているが、全く別の作品と考えていたらしい。

以降、大映は人気シリーズをプログラムピクチャーとして数人の監督が撮るシステムを導入。勝新の「悪名」「座頭市」「兵隊やくざ」シリーズ、雷蔵の「眠狂四郎」「陸軍中野学校」「忍びの者」「若親分」シリーズが誕生した。田中監督もこうしたシリーズ作品で傑作を撮った。大映は監督よりも俳優を大切にした会社なので、まず俳優ありきで映画が企画された。自分で企画を立てて、好きな俳優で作品を撮れたのは市川崑山本薩夫ぐらいだったらしい。市川崑は若い頃からフリーで大映のプロデューサーだった藤井浩明と仲がよかった。また売込みがうまかったらしい。山本薩夫日本共産党文化部に所属しており、共産党の文化活動の一環として党員を動員できる強みがあった。大映での一作目「忍びの者」は赤旗で連載された小説の映画化でプロデューサーから全部代々木系の人だったらしい。山本監督の姉も確かプロデューサーで後に新生大映が発足した時も名前を連ねていたと思う。彼ら二人を別格にして、大映の生え抜きだった、増村保造三隅研次森一生田中徳三池広一夫、井上梅治、井上昭、安田公義はプログラムピクチャーで傑作を次々と発表し続けた。

再び、田中監督を拝見したのは、2006年のシネ・ヌーヴォで上映した「RESPECT田中徳三」最終日だった。この時はいろいろとバタバタしており、行けたのはこの一日だけだった。「兵隊やくざ 大脱走」を見ている最中に後ろからぼそぼそと声が聞こえる。誰かと思って、ちらりと振り返る。そこには奥様と二人連れの田中監督が。

最終上映となった「大殺陣 雄呂血」の前に監督の挨拶があったのだが、その際に奥様からも一言挨拶があった。奥様が泣きながら、「こんな上映をやっていただけることになって。。主人は平気な顔をしておりますが、内心はとっても喜んでおるんです。年を取ってから大きな病気をしまして。。本当によかった」と挨拶をされており、こちらの目頭も熱くなった。上映後、監督にサインをいただき、握手をしてもらった。監督の作品で一番好きなのは「鯉名の銀平」です、と言ったところ、、あなたのような若い人に見てもらえるのは嬉しい、と言葉をかけてもらえた。

最後は今年の湯布院映画祭である。今年の湯布院は大映京都撮影所の特集であった。2002年以来、湯布院映画祭に足を運んだ大きな理由の一つが、大映の特集だったからで田中監督の「疵千両」が見たかったのだ。「疵千両」は前々回の京都映画祭でも上映があったのだが、他の映画と重なっており、見ることができなかった。ビデオが出てるかどうか知らないが、これはやはりフィルムで見たかった。そしてこれはフィルムで見るべき作品であった。近代の封建制度から湧き出る様々な悲劇に加え、監督が言う「人間の持つ宿命的な恋しさ」を体現する長谷川一夫の素晴らしさはフィルムで味わわねばならない。一昔前、男前の代名詞と言えば長谷川一夫であった。本人もその自負はたっぷり持っており、映画でも決して二枚目の演技を崩さなかった。しかし本作での長谷川は男の義理から友人と決闘せねばならない、そして身分の違いから諦めた召使のすがへの恋慕を棄てきれない、そして決闘で倒した友人の弟がすがの現在の夫であり、その弟が自分を仇としてねらっている、という様々な宿命に苦しむ男を大仰でもドラマ的に演じることなく、封建時代という時代に翻弄された一人の侍として演じていた。「私もひとつぐらい、世に問う作品を残しておきたい」と語った長谷川は本作が5作目となる田中監督に全てを託したのだ。それもまたドラマである。

湯布院映画祭に参加した方のレポでも多く語られているのだが、「怪談雪女郎」の上映後に行われた藤村志保さんとのトークショーでの質問の時間でちょっとしたハプニングが起きた。田中監督と藤村さんによる市川雷蔵の思い出で場がしんみりとしていた雰囲気ががらりと変わったのは奈良のテレビ局の男による質問であった。もう時間がおしてるのに何個も質問する神経がまずどうかしてるんだが、喋り方が実に高圧的。これにまず会場全体がイラっときた。要は自分の放送局(局長?)では深夜に昔の邦画をノーカットで放送している。そのことについて監督はどうお考えか?ってなことだった。まあ、おそらくだな。「そうですか。それはありがとうございます」ってな返事を期待してたんだろうが、監督の答えは全く違った。

映画はやはり映画館で見て欲しいと思うし、自分は映画館で上映されることを前提に作っている。テレビだとつまらなかったら、すぐにチャンネルを変えられてしまう。家にいながらにして気軽に見られてしまう。そうしたむなしさから解放されることはない」(はっきりと覚えてないがこういうニュアンスであった)他に質問があったので続けて答えようとする監督の言葉を遮って奈良の男が叫ぶ。「監督がテレビをどうとも思っておられないことがよくわかりました!でもね、この深夜放送は割りと視聴率を取っているんですよ!これは聞いてもらいたい!」言いたいことはわかる。でもテレビマン特有の意識してるか、してないかは別にして「テレビで扱ってやってる」感がぷんぷんとすげえ嫌な雰囲気であった。常連の爺さんがブチ切れて「監督はそんなこと言ってんじゃないんだよ!」と怒鳴りつけた。

彼は彼なりに映画を愛しており、様々なものと戦いながらも深夜放送でノーカットで映画を流している。そのことを知ってもらいたかったのだろう。それが全く裏切られたので混乱したのだろうと思う。まあテレビマンはこんな人多いですけどね。自分が世の中仕切ってるぐらいに思わないとやってられんのかもしれん。田中監督自身も語っていたが、大映倒産後の田中監督が主に手がけたのはテレビでの時代劇。必殺や座頭市剣客商売シリーズなど様々。。

友人はこの1件をどっちもどっちでテレビ全盛の時代にテレビが映画を一切扱わなくなったら映画は滅ぶ、テレビを見下げても仕方がないだろうと書いていたが監督の言いたかったことは全く違う。確かに映画人にはテレビを見下した人が多い。しかし田中監督は大映倒産後、天理教の映画を1本撮ったのみでテレビの時代劇をホームグラウンドとして作品を発表し続けてた。多くの大映出身の映画人がそうであったように、後世はテレビの人でもあったのだ。そのような人がテレビを見下すであろうか

監督の言いたかったことは、本来映画は映画館で見るものである、という当たり前のことだったのだ。重政隆文が繰り返し言っていることだが、映画は映画館で見るもので映像効果、キャスティング、音響、美術、その全てを作り手は映画館で見るように作っている。DVDで見てもそれは「見たような気持ち」になるだけなのである。

反感を買うことを承知であえて言う。我々映画ファンはもう少し映画館で映画を見ることに熱心にならなければならない。そして映画会社はそうした環境を整えるために努力を惜しんではならない。現在の風潮は残念ながら逆である。街の中からは次々と映画館は消え、同じ映画を流すだけの金太郎飴型シネコンができるだけである。独自のプログラムを組もうとする映画館は少数派となり、見る場は少なくなっている。意欲的に旧作の上映を行っていた高槻松竹セントラルも今は活動を停止し、シネコンの付属物に成り下がって、いや竹中労的な言い方では上に向かって、堕落している。旧作をスクリーンで見るのはますます難しくなっている。

何しろ、田中監督の作品を持っている角川映画自体がそうした方針でDVDの売り上げをよくするために、有名作品の配給をやめてしまっているそうではないか。監督があえてあの場でああした発言をしたのは、そうした状況に対する反抗であったのだろう。それは今にして思う。そして、それは監督の遺言として私は受け止めたいと思う

それからテレビが扱わなかったら映画が滅ぶなんて意見には首肯しかねる。現にこの湯布院映画祭自体がテレビでの扱いなどないのに、これだけの観客を集めているではないか。テレビと対立する必要はないが、テレビが全てみたいに思うのは映画ファンに対する愚弄であろう。テレビで全く扱いがなかったのにヒットした作品、そんな作品を私はいくつも知っているし、口コミから客を集めて天満天神繁昌亭を連日、大入り満員にしている上方落語の例もあるのだ。そうナメてもらっちゃ困る。

今年の夏には、河内家菊水丸の撮った短編(例のYOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 の一本)で河内家菊水丸の少年期の実話を劇中劇を演出。11月に大阪市で行われた完成披露上映会に出席したのが、公に姿を現した最後の姿となった。何よりも現場を愛した撮影所育ちのカツドウ屋としては感無量であっただろう。そうした場を与えてくれた菊水丸も偉いと思う。内藤昭に引き続き、また一人大映育ちの映画人が世を去った。合掌。


映画が幸福だった頃―田中徳三映画術

映画が幸福だった頃―田中徳三映画術

完本 市川雷蔵

完本 市川雷蔵

勝新図鑑―絵になる男・勝新太郎のすべて

勝新図鑑―絵になる男・勝新太郎のすべて

悪名 DVD-BOX・第一巻

悪名 DVD-BOX・第一巻

悪名 DVD-BOX・第二巻

悪名 DVD-BOX・第二巻

悪名 DVD-BOX・第三巻

悪名 DVD-BOX・第三巻

陸軍中野学校 DVD-BOX

陸軍中野学校 DVD-BOX

大江山酒天童子 [DVD]

大江山酒天童子 [DVD]

花くらべ狸道中 [DVD]

花くらべ狸道中 [DVD]

悪名 [DVD]

悪名 [DVD]

続・悪名 [DVD]

続・悪名 [DVD]

鯨神 [DVD]

鯨神 [DVD]

続・新悪名 [DVD]

続・新悪名 [DVD]

第三の悪名 [DVD]

第三の悪名 [DVD]

新・座頭市物語 [DVD]

新・座頭市物語 [DVD]

眠狂四郎殺法帖 [DVD]

眠狂四郎殺法帖 [DVD]

悪名一番 [DVD]

悪名一番 [DVD]

忍びの者 霧隠才蔵 [DVD]

忍びの者 霧隠才蔵 [DVD]

悪名幟 [DVD]

悪名幟 [DVD]

続 兵隊やくざ [DVD]

続 兵隊やくざ [DVD]

悪名無敵 [Laser Disc]

悪名無敵 [Laser Disc]

新・兵隊やくざ [DVD]

新・兵隊やくざ [DVD]

悪名桜 [DVD]

悪名桜 [DVD]

座頭市の歌が聞える [DVD]

座頭市の歌が聞える [DVD]

大殺陣 雄呂血 [DVD]

大殺陣 雄呂血 [DVD]

兵隊やくざ 大脱走 [DVD]

兵隊やくざ 大脱走 [DVD]

陸軍中野学校 竜三号指令 [DVD]

陸軍中野学校 竜三号指令 [DVD]

兵隊やくざ 俺にまかせろ [DVD]

兵隊やくざ 俺にまかせろ [DVD]

兵隊やくざ 殴り込み [DVD]

兵隊やくざ 殴り込み [DVD]

眠狂四郎女地獄 [DVD]

眠狂四郎女地獄 [DVD]

兵隊やくざ★強奪 [DVD]

兵隊やくざ★強奪 [DVD]

秘録 怪猫伝 [DVD]

秘録 怪猫伝 [DVD]

新・荒野の素浪人 DVD-BOX 第一巻

新・荒野の素浪人 DVD-BOX 第一巻

師匠も走る(これ毎年書いてるな)師走到来

tetorapot2007-12-01


もはや遅筆の言い訳は致しません。二ヶ月空いてしまいました。5年前にブログを始めて以来、こんなに更新ができなかったのは初めてのことでございます。言い訳はしないと書きましたが、どうしてできなかったか、と言いますと。

まずは、10月の更新がどうしてできなかったか、ですが、有り体に言ってしまいましょう。忙しかったからです。忙しいを理由にするなんて最低だよ、仕事と私、どっちが大事なの?とか言われてしまいそうですが、まあいろいろありました。よいことがね。おそらく、私が臨終のみぎり、旅病んで夢は枯野を駆け巡る状況な時にこの月は割りと早いカウントでぴょんぴょんと駆け巡る月でございましょう。昨年の10月は京都映画祭という地味くさい映画祭に入り浸っておったわけですから、(過ぎ去ったら、そこまで言うか)えらい違いでございます。まあ実りの秋だったんでしょうか。。もちろん、幸運にも恵まれているわけですが、ここで実りを迎えたのは何と言っても不断の努力の賜であり、長く辛い下積みの時代があってテロリストの友人の友人であり、その昔、アメリカのスパイだった法相が大好きな蝶々のように遂に羽化したものと考えてもよいでしょう。。え?誰が不断の努力をしたって?君、文脈読めへんのかいな、おれに決まってるだろ、おれに。えらいぞ!おれ!(アホです)

次に11月ですが。これは仕事も大分暇になり、早々に帰宅できるようにはなったのですが。。長らく更新しなかったせいか、文章を書く癖がなくなってしまい、パソコンを起動しても文章を書く気にならん。暇あらば、eoネットのライブ繁昌亭天満天神繁昌亭の昼席をネットで聞いておりました。。そしてふと気がつけば、師走の声を聞く始末。とまあ、こういうわけなんでございます。

 映画ですが、今年も残り一ヶ月を切ってしまいましたが、鑑賞本数は11月末で117本と昨年の184本に比べると激減するのは確実。150本を割り込むことは確実でしょう。今年は鑑賞本数は減るやろうなあ。。とは思ってましたが。。もはや、普通の映画ファンです。激減の理由は色々あって大きくは高槻松竹セントラルが旧作の上映をやめてしまったことや、平日は仕事が忙しく仕事帰りに見れなくなったり、休日もまあ。。昔に比べると映画ばっかり見ている日常でなくなったり、とかですが、飽きたわけではないんですが、落語は楽しいな、としみじみ思えるようになってきて、映画よりも落語に対して重心が移っていることが大きい。実に10年ぶりかな、こんな熱心に聞いてるのは。これまでは市民寄席とかを月1回のペースで通ってて静かなマイブームだったんですが、最近は一ヶ月に3回ぐらいと、なかなかよいペース。10月から11月にかけた落語会を備忘録代わりに書き出すと。。つまり市民寄席以降やね。

10月4日 第一回東西落語撰 金馬三枝二人会 天満天神繁昌亭
桂つく枝「祝のし」、桂三歩「さよなら動物園」、桂三枝「涙をこらえてカラオケを」金馬三枝座談会、三遊亭金時「千両みかん」、三遊亭金馬「薮入り」
10月25日 できちゃったらくご! 天満天神繁昌亭
月亭游方、笑福亭たま、旭堂南湖姉様キングス(林家染雀、桂あやめ)、笑福亭福笑「アハハ家族」
10月29日 かねよ寄席 うなぎ屋かねよ
桂そうば「鉄砲勇助」、笑福亭銀瓶「寝床」、桂米二「始末の極意」
11月2日 笑福亭三喬独演会
笑福亭三喬ちりとてちん」「我家のアルバム」「一文笛」
11月20日 ざこば・福笑二人会
桂ちょうば「軒付け」笑福亭福笑「軒付け」笑福亭たま「ホスピタル」桂ざこば「子は鎹」

他に文楽人形浄瑠璃なんかも。
11月17日 国立文楽劇場11月公演 第2部「源平布引滝」「曽根崎心中

まずは湯布院映画祭も書かんとあかんのですが。。文楽の記事と11月23日に見てきた第14回大阪ヨーロッパ映画祭の記事と落語会の記事なんかから書いていきたいと思います。

ちりとてちん」見てます。これはマイベスト連ドラになりそうな予感貫地谷しほりちゃんの演技もよいですが、これはホンがよく出来てます。落語ファンにもクスリと笑えるシーンが満載ですが、不器用な等身大な女の子の成長記としても見応えあります。結局はおもてなしの心だの座敷わらしだのに逃げざるをえず、終始してキャストの力に頼りっきりだった「どんと晴れ」とは作り方からして違いますな!NHK大阪、また本局に差をつけたな。。来年の大河ドラマもきっとつまらんので、NHKの受信料を払う価値あるのはNHK大阪制作の連ドラだけです。

それから映画ですが。。年末か年始にベストテンやります。見てる本数が少ないので、たいしたベストにはなりませんが。

今んとこ、よかったのは洋画では「ドリームガールズ」「リトル・ミス・サンシャイン」「ブラックブック」「絶対の愛」「クイーン」「善き人のためのソナタ」「シッコ」「プラネット・テラー in グラインドハウス」「パンズ・ラビリンス」「エディット・ピアフ〜愛の賛歌〜」「ヘアスプレー」

ベストは「パンズ・ラビリンス」か「ヘアスプレー」か「リトルミスサンシャイン」だな。ワーストは「ローグアサシン」です。断言しときます。見に行って後悔したクソ映画です。体張らんジェット・リーなど見たくねえ。

邦画は今年よかったんで挙げるとキリないですな。

それでもボクはやってない」「魂萌え!」「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」「松ヶ根乱射事件」「ユメ十夜」「神童」「しゃべれども しゃべれども」「キサラギ」「サイドカーに犬」「檸檬のころ」「河童のクゥと夏休み」「かぞくのひけつ」「人が人を愛することのどうしようもなさ」「クローズZERO」

ベストは。。むう難しい。。「しゃべれども しゃべれども」「サイドカーに犬」「松ヶ根乱射事件」のどれかかな。。

とりあえず、「椿三十郎」は見に行く所存

年末までにはまた更新すると思います。。自信ないけど。。